クーゲルは、苦笑いを浮かべた。
「混乱させてしまったようだね。しかしまあ、最後まで話を聞いてみてくれないか。ともかくワシは若い頃、兄のディオとちょっとしたことで喧嘩をしてね。それから今まで、ろくに口をきいたことがないのだ」
(ふうん、クーゲルさんはディオさんと仲が悪いのか)
仲が悪いという話は、言われてみれば、何となく心当たりがある。
「だが、お嬢さんに雇われるようになってからは、あの酒場に行くことが多くなってね」
クーゲルは、ほうっとため息をついた。
「当然、兄と顔を合わせる回数も増えているだろう。さすがに近頃ではなんだか...まあ、気まずいような感じがして、このままでは何かとやりにくいのだよ」
「そうだったんですか。飛翔亭を使いたくないのでしたら、どこか別の場所で連絡を取ってもかまいませんけど?」
マルローネの提案に、クーゲルは首を横に振って答えた。
「いや、そうではないよ。これを機会にもうそろそろ、仲直りをしたいと思っているのだ。しかし、どうも話を切り出しにくくてね」
マルローネは首をかしげた。
「どうしてですか?」
クーゲルは、顔をやや上に向け、考えながら言った。
「何年も喧嘩したままだから、それがもう一種の癖になってしまったのだな。今でも時々、兄のやることなすことが気に障って仕方なくなるのだよ」
「はあ...そういうものなんですか」
また、クーゲルは笑いを漏らした。
「そういうものだよ。実際、先日だってお嬢さんがたにうっかり、みっともないところを見せてしまっただろう?」
「あっ、そういえば。あのときは本当に、びっくりしました」
マルローネはぽんと手を打った。ディオが娘かわいさのあまり、とんでもない依頼をしようとした時の話をやっと思い出したのだ。
「それでだ、今度兄と話をするときには落ち着いて話が出来るように、お嬢さんに協力してもらいたいのだよ」
「あたしに、ですか? あたしにできることならば喜んで協力しますけど、どうすればいいのですか?」
マルローネは面食らった。自分に何ができるのか、全く思いつかない。
「お嬢さんは、薬に詳しいだろう? 素直に話ができるような、心が穏やかになるような、何か気の利いた薬がないものか、と思ってここへ来たのだよ。...そんな薬を知らないかね?」
一生懸命、記憶をあさったが、何も思いつかなかった。しかし、ここで彼の頼みを断ってしまうのも悪い気がする。
「今はちょっと心当たりがありませんけど...、調べてみたら、そういうのもあるかもしれません。探してみましょうか?」
「ああ、頼むよ。もしわかったら、作っておくれ」
クーゲルは、任せたぞと言うようにうなずいた。
***
翌日、シアの家でシアとお茶を楽しみながら、マルローネは訊ねてみた。
「ねえシア、人と仲良く話ができるようにするには、どうすればいいと思う?」
「え...? マリー、誰かと喧嘩でもしちゃったの?」
ショコラケーキをつつきながら、シアは軽やかな笑いを含んだ声で問う。
「あたしのことじゃないのよ。ある人に、喧嘩の仲直りをしたいので手助けしてほしいって頼まれちゃって。それで、何か役に立ちそうな薬を作らなきゃならなくなったのよ」
「そうなの...。でも、仲直りはやっぱり、本人が心を込めて謝るのが一番じゃないかしら?」
と言うシアは、喧嘩とは全く縁のなさそうな穏やかな性格の持ち主だ。
「それができれば苦労はないんだけど、かなり長い間仲が悪いままだったから、いまさらなかなか素直になれないんだって」
マルローネは、やれやれと言いたげな顔をして見せた。
シアは、頬に手を当てて、小首をかしげて考え込んだ。
「それでお薬を使いたいのね。でも、わたしもそんなお薬のこと聞いたことがないし...あ、アカデミーの図書室で調べたら何か分からないかしら」
シアはぱっと顔を上げて言った。
「うん、まあ、それもちょーっと思ったけど...」
返すマルローネの声は小さい。
「...マリー、ひょっとして、自分で調べるのが面倒で、わたしに相談しに来たの?」
「ぎく」
マルローネの顔が引きつった。
「マリーって、いつもそうなのよねえ。すぐ人に頼っちゃうんだから。ちゃんと自分から勉強しなきゃ、また卒業できなくなっちゃうわよ?」
シアは軽く笑った。しょうがないわね、と言うように。
(うー、シアってば、にこにこしながら結構キツイことを言うんだもん。参っちゃうなぁ...あ?)
今、手がかりがちらりと見えたような気がした。
「笑顔、かぁ」
マルローネは、にんまりと笑った。
「?? どうしたの? 何か思いついた?」
シアがやや身を乗り出して問う。
マルローネは自分の思いつきをそのまま話した。
「あのね、今思ったんだけど、相手が気持ちのいい笑顔で話していたら、たとえ少々キツイことを言われたってあまり腹が立たないかなぁ、って」
シアの毒舌を指摘しているとも取られかねない発言だが、マルローネはそんなつもりで言ったわけではないし、幸いなことにシアも気が付かなかった。
そもそも、毒舌の持ち主であるという自覚がシアにはないのかもしれない。
ともかくシアは、マルローネの意見に賛成した。
「そうよね。怒った顔をしているより、笑っている方がお互いに話がしやすいわ。それに笑ってると、自分の気持ちも穏やかになるような気がするわね」
「それだわ!」
マルローネは顔を輝かせた。そして椅子から立ち上がった。
「シア、ありがと。これからちょっとアカデミーへ行くから、今日はもう帰るね。じゃ、また明日〜」
言うなり、部屋を飛び出して行ってしまった。
「あっ、ちょっとマリー...行っちゃった。でも、何だか役に立ったみたいだから、まあいいわ。明日もまた会えるし」
後に残されたシアは、少し不満そうに息をついた。しかしまもなく機嫌を直し、茶碗を片付け始めた。
「ん? これは...」
シアに言ったとおり、マルローネはアカデミーの図書室に来た。
実は、図書室にはもともと行こうと思っていた。ただ、当てもなくがむしゃらに本を探すのが面倒で、まずシアと相談したのだ。
今、マルローネの手の中には<笑顔の人生論>なる本があった。
「ふーん、図書室って難しい本しか置いていないと思ってたけど、こんなのもあるのね...」
本のページをぱらぱらとめくってみる。錬金術とは関係なさそうな、人付き合いのコツについて書かれた本だった。
「こんな本、どんなひとが書いたのかなぁ。きっと、かなりヒマな人だよね」
最初のうちはこんなことを言っていたが、次第に熱心に読みだした。
しばらくして。
「...うん、何とかなるかもしれない」
マルローネは本を棚にしまい、元気よく図書室を出ていった。