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数日後、マルローネは1本の薬をクーゲルに渡した。
「一応、頼まれた薬を作ってみました。試作品なので、ちゃんと効果があるかどうか自信がないんですけど」
丸っこいピンを手にとって眺めながら、クーゲルは訊ねた。
「うむ。どんな効果があるのだね?」
マルローネは、材料の特性を思い出しつつ薬の説明をした。
「飲むと、ひなたぼっこをしているときのように、少し眠くなってきます。それに、気分が良くなって笑いたくなるんです」
「酒を飲んで笑い上戸になる奴と同じようになるということか?」
「それに近いかもしれませんね。でもそれよりは効き目が弱いはずだから、ちょうどいいのでは、と思いますけど...」
やや自信なさげに、マルローネは言った。
「なるほど。ありがとう、今夜にでも早速使ってみるよ。これはお礼だよ」
言って、クーゲルは金袋をマルローネに手渡した。かなり重い。
「え、あの...、もらっちゃっていいんですか、こんなにたくさん」
「当然だろう。わざわざ薬のことを調べてもらった上、こうして作ってもらったのだから」
クーゲルは、何を言っているのだと言いたげな表情で答えた。
「でも、もしその薬が失敗だったら、悪いですよ。...その薬、あたしが勝手に発明したものだから...」
マルローネは、柄にもなくうろたえている。
何しろ、この薬は参考書に作り方が載っていたわけではなく、シアとの話と図書室で得た断片的な知識からマルローネが考え出したものなのだ。
クーゲルは、きっぱりと言い切った。
「いや、たとえ不完全な薬でも、お嬢さんがこれのために貴重な時間と材料を使ってくれたことには変わりない。いいから、受け取っておくれ」
「は、はあ...」
お金をマルローネに押し付け、クーゲルは薬を持っていった。マルローネは、不安を隠せなかった。
(うまく行くといいんだけど...)
***
翌日の夕方。クーゲルのために作った薬のことが気になったマルローネは、<飛翔亭>に行ってみた。
店には、珍しくフレアが出ていた。
「あら、いらっしゃい。今日はなんのご用?」
「あのぉ、昨日、ここにクーゲルさんが来たはずですけど、フレアさんは知ってますか?」
フレアは、困ったような顔をした。
「ああ、クーゲル叔父さんね。確かに来たわ。...マリーさん、あなた、叔父さんにどんな薬を作ってあげたの?」
「そのことが気になって来たんです。あたし、クーゲルさんに「心が穏やかになる薬」を作ったんですけど、どうなったんですか?」
フレアは事情を話し始めた。
「実はね...」
昨日の夜。クーゲルは<飛翔亭>にやってきた。
いつも入口近くのテーブル席に座る彼だが、今日は、カウンター席にどっかりと腰を下ろした。ディオの目の前だ。
ディオは、わずかに目を見開いたが、努めて平静を装う。そして、コップ磨きに熱中するふりをしつつ、注文を聞いた。
「ビールでいいか?」
クーゲルはこの店では、決まってビールを飲む。
「ああ。ワインはやめておくよ。せっかく仲直りに来て、また喧嘩を蒸し返したら何にもならないからな。ガッハッハ」
「クーゲル?」
ディオはぎょっとしてクーゲルの顔を見た。クーゲルはディオの顔をまっすぐ見ている。
兄弟がこうしてまともに目を合わせたのは、実に20年ぶりのことであった。
クーゲルはにこにこしている。普段の表情からは誰も想像できないが、まさに「にこにこ」と表現するにふさわしい表情だった。
それだけでなく、目がわずかにとろんとしている。眠そうだ。
酒場を経営しているディオには、クーゲルは少し酔っぱらっているように見えた。ただ、笑い上戸ではなかったはずだが。
「おまえ...大丈夫か?」
「酔っぱらってるように見えるか? でも違うんだ。そうだ、おれは仲直りしたくてやってきたんだ」
口調も、普段の渋い中年男のものから、若いときのものに戻っている。
「兄貴、あのときは悪かった。実に悪かった。この通り、謝るよ」
しっかりした表情で、クーゲルは謝り、頭を下げた。
その時、ディオの心の中のわだかまりも解けた。
いや、ディオにしても、弟と仲直りをしたいと思ってはいた。ただ、きっかけがつかめなかっただけなのだ。
「クーゲル、もういいさ。俺もあんなに意地を張っちゃいけなかったんだから」
言って、ディオは微笑んだ。
「乾杯しようか」
「ああ、そうだな」
かくて、20年の長きにわたって喧嘩していた兄弟は和解し、祝杯をあげた。
...そこまではよかった。しかし。
「ぷはー!! ああ、こんなうまい酒は久しぶりだよ、なあ、兄貴」
「あ、ああ...」
「さあ、どんどん飲んでくれ。今日はおれのおごりだ、ガッハッハ!」
「おごりって、俺が飲む分は払わんでいいだろう、うちの店なんだから。だいたいそりゃ俺のセリフだ」
「まあまあ、固いことは言うもんじゃない。ささ、もう一度、かんぱーい!!」
クーゲルが異常に陽気なのだ。まるで、酔っぱらいそのもの。兄のディオも、こんなクーゲルは見たことがなかった。
「やっぱり、おまえどこかヘンだぞ。ここに来る前に何か飲んでたのか?」
ディオは頭を抱えて尋ねた。
「ここに来る前? ああ、マルローネのお嬢さんから薬をもらったかな。はて、何の薬だったか...」
眉間に指を当てて考えようとしたクーゲルだが、すぐにそれをやめてしまった。
「まあ、いいじゃないか兄貴。そんなことはどうでもいいさ。こんなめでたい日に、そんな辛気くさい顔してないで、さ、どんどん行こう! どんどん!!」
「というわけで、叔父さんすっかり酔いつぶれちゃって。父さんは父さんで、店を閉めるまでは何とか気力が持っていたけど、店じまいした途端に酔いが回って、どっと疲れたみたい。今もまだ、ふたり仲良く眠っているわ」
「はあ...そうだったんですか...」
マルローネは、気まずくなってしおしおと小さくなった。材料の配分が悪く、思っていたよりも薬が効きすぎたのは明らかだった。
「ごめんなさい。すっかり迷惑をかけてしまったみたいで」
「いいのよ、怒っていないから気にしないで。私は事情が知りたかっただけだから。それどころか、叔父さんと父さんが仲直りできたのはあなたのおかげだから、感謝しなくてはね。ありがとう、マリーさん」
言って、にっこりと微笑んだフレアの魅力的なことと言ったら! 同じ女性であるマルローネでもそう思うくらいだから、この笑顔が男性客にどれほど猛威を振るうかは推して知るべし...。
「なんだかんだ言っても、結局叔父さんと父さんは性格がそっくりなのよね。だからかしら、こんなに喧嘩が長引いたのは...どうしたの?」
「あ、いえ、本当によかったですね」
「?」
フレアは不思議そうにマルローネを見ている。マルローネは、ディオの娘に対する溺愛ぶりに、クーゲルが何と言っていたかを思い出していたのだ。
(でもせっかく仲直りしたのに、新しい喧嘩の種をまいちゃいけないよね)
マルローネは、余計なことは言わないでおくことにした。
-Fin-
*あとがき*
クーゲルさんのネタで1本お話を書きたい→やっぱり喧嘩ネタかな...→それでは、シェンク親子ももう少し詳しく書いてみよう、ということで。
でも喧嘩の種になりそうなことはもうひとつあるはず。そう、フレアさん。ディオさん以外の人は皆、フレアさんにもいずれはいい人と結婚させてあげたいと思ってるだろうからなあ。クーゲルさんだって、身内だからなおさら、姪の幸せを願っているのでは、と。
これでもう1本お話が書けるな...。