二人は林の中を、黙々と歩いた。さすがに3時間も歩くとなると、無口にもなるものだ。風がさわさわと通り抜けて、二人の髪を揺らしていく。
いつの間にか、クライスは歩調をゆるめていた。
疲れたため、ではないらしい。相変わらずの涼しい顔をしている。しかし、たまにちらりと後ろの様子を見ているので、マルローネの歩調にあわせている、というのが正しいだろう。マルローネの方は、そのことに気づいてはいないが。
(黙っていれば、結構ハンサムなのに)
マルローネはぼんやりと思っていた。それで、ふとクライスから声をかけられたとき、不覚にもドキッとしてしまった。
「え、え、何?」
「ああ、だからですね、どうして錬金術士を目指しているのかと聞いたのです」
前を向いて歩きながら、クライスは静かに言った。
「私は、不思議に思っているのです。普通、あれほど成績が振るわなかったら、アカデミーなんて辞めてしまうものではないですか。実際、数は少ないですが、魔術や錬金術は自分に向いていないと、志半ばであきらめて退学する人もいます。
しかしあなたは、特別試験を受けてまで錬金術士になろうとしている。なぜそこまでこだわっているのか、知りたいと思いまして」
マルローネは目をしばたたかせた。古い記憶に思いを馳せる。
(えーと、そういえばあたし、どうして錬金術士になろうとしているんだっけ...)
即答しないマルローネを不審に思い、クライスは振り向いた。
「マルローネさん?」
その声に反応してマルローネは、うつむいていた顔をあげた。
「あ、うん、錬金術士を目指す理由ね。えーと、何から話そうかな...」
***
マルローネは、グランビルという名の小さな村で生まれ育った。
グランビル村は、主に牧羊と毛織物の生産で生計を立てていた。
もちろんマルローネの家でも羊を飼っていて、幼い頃の彼女は放牧地で羊と遊んだり、木に登って実を採ったり、小川で魚を追ったりしていた。
マルローネの親友であるシアも、もとはグランビル村の住人だった。シアの家は代々、村で作った織物の行商をしていた。
シアの父親は、今まで近くの町に売っていた品物を、より市場の大きいザールブルグで売り込むのに挑戦した。彼にはかなりの商才があり、その試みは大成功を収めた。
やがてザールブルグ市内に屋敷を構える程に事業を成長させ、一家はマルローネが10歳になった年に、ザールブルグへ引っ越していった。それが、街で指折りの資産家ドナースターク家である。
シアが引っ越して行ってからも、シアの父や、彼の部下の人たちを通して、二人は手紙のやり取りをしていた。
そんなある日、シアが「絵で見る錬金術」という一冊の本を送ってくれた。それは、創立してまだ日が浅いザールブルグの王立魔術アカデミーが、宣伝のために配っていた錬金術の入門書だった。
本は貴重品だ。マルローネは、街から届いた珍しいその本をわくわくして開いた。
本の内容は、もっと魅惑的だった。
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全てのものは「元素」という目に見えない小さな粒が寄り集まって出来ている。
よって、ものを元素に分解して他の元素と組み合わせれば、別の新しいものを作ることが可能...
元素は5種類。「火」「水」「土」「風」。そして、これら4つを融合させて初めて生まれる「金」。
「金」の元素を生みだし、扱うことこそが、「錬金術」の目標である...
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マルローネはすっかりその本に夢中になり、好きだった外遊びもぱったり止めて、来る日も来る日も読みふけった。やがて、彼女は「錬金術をやってみたい、錬金術士になってみたい」と願うようになった。
マルローネは、自分の新しい夢を家族に語った。しかし、保守的な色の濃い、平和な小村である。両親は当然、そんな訳の分からないものをやりたがる娘を理解できなかった。
両親は彼女に、この村で仕事を覚え、やがて村内か、近所の村に嫁に行き、子供を産み育て、こつこつと働く、そんな当たり前の人生を望んでいたのだ。
このままでは一生かかっても家族を説得できないと思い、マルローネは家出を敢行した。
顔なじみの織物仲買人(シアの父の部下である)に頼みこみ、ザールブルグのシアの家まで連れていってもらったのだ。この時、マルローネは14歳になっていた。
当然の事ながら、まもなく父親がシアの家まで、マルローネを連れ戻しにやってきた。帰れ、いや帰らないの押し問答になり、シアの一家もまじえて長い話し合いになった。
話は平行線をたどっていたが、その末に、シアの父親は宣言するように言った。
「もとはと言えば、うちの娘が本を送ったせいですから。マリーちゃんのことは、私たちが責任を持って預かります」
マルローネの父はまだ渋っていた。
「しかし、あんたには散々世話になっているのに、この上うちの馬鹿娘の面倒まで押し付けるなど、俺の気が済まない」
マルローネと並んで座っていたシアは、マルローネの手をぎゅっと握っていた。そしておずおずと言った。
「小父さま、どうかマリーを許してあげて。わたしも、マリーの勉強を応援したいの」
マルローネは、目にありったけの思いを込めて、父を見つめた。
父は、長い沈黙の末、ほうっとため息をついた。
「...わかった。皆がそこまで言うのなら、もうどうしようもないだろう。仕方ないな」
その言葉で、皆の顔がふっと和んだ。
「あ...ありがとう、父さん!」
マルローネは立ち上がり、父の座る席へ歩み寄ろうとした。
「ただし」
重々しい父の言葉に、足が止まる。
「マリー、おまえが一人前の錬金術士とやらになるまでは、おまえは俺の娘だと思わないことにする。一人前になるまでは、家の敷居は決してまたがせん! 今日から、俺とおまえは赤の他人だ」
「父さん...」
父は、シアの両親に向かって深く一礼すると、大股で部屋の外へ歩いていった。その背中を見ていると、どうしようもなく衝動がこみ上げてきた。
「父さん!」
マルローネは出ていこうとする父に駆け寄り、その背中にしがみついた。そうして初めて、父の背中も震えているのがわかった。
「...頑張れよ...」
父は呟き、そっとマルローネの手を外すと、振り向きもせず去っていった。遠くで玄関の扉が閉まる音が耳に届いたとき、マルローネは涙をこらえきれなくなった。
ぽろぽろと涙をこぼし、しゃくり上げるマルローネに、シアと彼女の母親がそっと寄り添った。
***
「......」
歩きながら語られるマルローネの過去の話を、クライスは黙って聞いていた。
「そういうわけで、何が何でも一人前になるんだって固く決心したはずなんだけど、思った以上に厳しくて。結局、あなたもよく知っているように、あたしは史上最悪の劣等生。これじゃ、本当に家に帰れないね」
マルローネは、ふっと頬を崩した。彼女には珍しい、自嘲の笑み。
「...でも、まだあなたはあきらめてはいない」
クライスは、ぼそりと呟くように言った。
「うん。なんか、あきらめてしまうのは悔しいし。それにうちの父さんって怖いんだよ。父さんに頭を下げて家に入れてもらうより、イングリド先生に試験の点数をおまけしてもらう方が簡単だよ、きっと」
ふふ、と笑いを漏らすマルローネ。クライスも、目を踊らせた。
「そうなんですか? あのイングリド先生より怖いんですか?」
「うん、たぶんね。頑固オヤジだから」
答えて、マルローネは軽やかな笑い声をたてた。
まもなく景色がぱっと開け、青く輝く湖が見えた。
「着きましたね」
「うん。さあ、汲むぞ〜!」
どさっと置いたカゴから水袋を引っぱり出し、子鹿のように岸辺へ駆けていくマルローネ。
クライスは空を見上げた。太陽はかなり地平に近づいている。
「やれやれ」
マルローネのカゴを持ち、クライスもまた岸辺へ歩いていった。