ゆーら博物館〜アトリエ・俺屍ファンサイト〜

地下実験室を出た俺たちは、そのまま『職人通り』へ向かった。

というより、俺自身はどうしてよいかわからず、何事か考え込んですたすたと歩くクライスの後をついていっただけなのだが。

実験室で過ごした時間はものすごく長く感じられたが、実際にはそれほどでもなかったらしい。日は傾きつつあったが、夕方までにはまだ数刻あるだろう。

「な、なあ、クライス」

口の中でぶつぶつつぶやいていたクライスが、足を止めて振り向く。

「何ですか、ルーウェンくん」

「放っておいていいのか、あの先生」

「私たちに何ができるというのです?」

取り付く島もないように、クライスが言う。

「でも、ヘルミーナ先生の最後のセリフ・・・。あれは、自白したも同然じゃないのか。イングリド先生に報告しないと」

クライスは首を横に振った。ひとりごとを言うようにつぶやく。

「どうも釈然としないのですよ。何ひとつとして、収まるべき所に収まっていない・・・」

「そうか? 俺にははっきりしているように思えるがな。あの先生が、怪しい術を使って怪物を創り出した。その怪物が逃げちまったんで、あわてて自分で退治しようとしてるのさ。闇から闇へ葬るためにな」

「そんな単純なことでしょうか? では、怪物を創った動機は何なのです?」

「それは・・・ほら、よくあるじゃないか。世の中を騒がせたかったとか」

「彼女は、そんなに底の浅い人物ではありませんよ」

クライスは、再び目を伏せ、つぶやき始める。

「彼女ほどの経験を積んだ錬金術師が、危機管理を徹底しないはずがない。実行するなら、あらゆる事態を想定して準備していたはず・・・」

早足で歩き出す。あわてて俺は後を追う。

「彼女は、嘘を言ってはいない・・・しかし、すべてを口にしたわけではない。それとも、彼女も知らないことがあるのか・・・。何か事実を見落としている・・・パズルの最後のピースが足りない・・・」

ぶつぶつ言いながら、クライスは歩き続ける。『職人通り』が近付き、人通りが多くなって、道行く人にぶつかりそうになっても、足を緩めることもない。俺は、クライスに代わって謝りながら、急ぎ足で石畳の道を進むクライスを追った。

 

「とにかく、落ち着いて考えを整理してみなければなりません。私はこれから少し自室にこもるつもりですが、邪魔をしないようにしてください」

下宿に着くと、クライスは言った。

「ああ、わかったよ」

落ち着かない気分のまま、俺は答えた。

だが、2階への階段を上がる前に、1階奥のキッチンから、やかましい音が聞こえてきた。なにかが砕ける音。そして叫び声もする。

「何事でしょうか。あのように騒がれては、考えがまとまりません」

クライスが怒ったように言い、キッチンへ向かう。俺も続く。

 

「何だい、こりゃあ?」

キッチンの入り口で、俺は口をあんぐりと開けた。クライスも言葉もなく、立ち尽くしている。

そこは、まるで戦争の跡だった。

壁には真新しい染みがこびりつき、天井はすすで黒くなっている。床には小麦粉やら調味料やら野菜クズやらが散らばり、キッチン全体に、焦げ臭いような、甘ったるいような、異様な臭いがたちこめている。

「どうして!? また焦げちゃったよぉ!」

「どうしましょう・・・また落としてしまったわ」

そして、コンロの脇ではマリーが煙をあげるフライパンと格闘し、ルイーゼは、床に這いつくばって、割れた食器のかけらを拾い集めている。腰に手を当てて、それをあきれたようにながめているのはハドソン夫人だ。

「ああ、あんたたちかい」

俺たちに気付くと、ハドソン夫人は大げさに肩をすくめて見せた。

「いやね、このふたりが、料理を教えてくれって頼みにきたもんでね。あたしも教えるのは嫌いじゃないから、さっそく手ほどきしてやったんだけど・・・」

大きくため息をつく。

「お話にならないね、このふたりは。一人前に料理しようなんて、10年早いよ。マリーさんは大雑把過ぎるし、うちのルイーゼはとろとろだし。なんだかねえ・・・金髪の娘ってのは、みんな料理が苦手なのかね」

マリーが俺たちに気付いて、

「あ、あははは、あんたたちが留守の間に、こっそりハドソンさんに教わって、ちゃんとした料理を作ってクライスを見返してやろうと思ったんだけど・・・。ダメだったみたい。あはは」

まったく、俺たちの苦労も知らず、能天気なことだ。いや、マリーにすれば、一生懸命やったことなのかも知れないが。

ルイーゼも立ち上がって、エプロンのごみを払う。

「また、ちょっと失敗してしまいました・・・」

「ちょっとじゃないだろう、ひとの台所を、これだけ引っかき回してくれてさ。ちゃんと片付けないと、承知しないよ」

ハドソン夫人は、テーブルの上に置いたびんを見やり、もう一度ため息をついた。

「せっかく、あたしの秘伝のソースまで使わせてやろうと思ってたのにさ」

その大きなガラスびんには、どろりと濁った濃厚な黒い液体が詰まっていた。

「何なんですか、その“秘伝のソース”って?」

マリーが尋ねる。 ハドソン夫人が、やや得意そうに答える。

「そら、料理に使うソースを、その度にいちいち最初から作っていたんじゃ効率が悪いだろう? だから、まとめて作り溜めしておくのさ。野菜やら果物やらスパイスやらを大鍋に全部ぶちこんで、煮込んだ後、エキスを漉し取るんだ。それを更に一昼夜煮詰めて、思いっきり濃くするのさ。そうして蓄えておいて、料理に使う時にはぬるま湯で10倍に薄めて戻してやれば、おいしいソースのできあがりだ。なに、作る時は手間がかかるけど、いったん作れば、当分は楽ができるからね。手際よくやるための、主婦の知恵ってやつかね」

マリーもルイーゼも、圧倒されたようにうなずいている。

俺は、隣にいるクライスが息をのむのを感じた。

振り向くと、眼鏡の奥のクライスの目が、輝いている。

「そうか!」

クライスが小さく叫んだ。

 

その時、大声でマリーの名を呼びながら、赤妖精のピッコロが、転がるように駆け込んで来た。『生きてるうに』にやられた右の頬に貼られた大きな絆創膏が痛々しい。

「お姉さ〜ん、大変だよ! 武器屋のおじさんが、まだけがも治ってないのに、怪物に仕返しをしてやるって言って、森へ行っちゃったんだって〜!!」

 

「もう! ほんとに親父さんったら、無茶なんだからぁ!」

「まだ包帯も取れてないし、身体も痛いはずだろ? よくやるよな」

「はあ・・・、はあ・・・、待って・・・ください。マルローネさんこそ、無茶は・・・はあ、しないでくださいよ」

「クライス! あんた、こういうことになると、てんで役立たずなんだから。黙って留守番してればよかったのに!」

「そういう・・・ぜえぜえ、わけにも・・・、いきません」

「ついて来られないなら、置いてくわよ!」

ピッコロの知らせを受けるとすぐ、俺たちは街を出て、森へ向かおうとした。ハドソン夫人の台所の片付けは、マリーが向こう1ヶ月間、無料で工房を実習用に貸すという条件でルイーゼに押しつけた。

西日がアーベント山脈へ向かって傾いていく中、舗道に長い影を落として、俺たちは道を急いだ。かなりの速さで走ったため、ザールブルグの外門を出る頃には、早くもクライスの息はあがっていた。

自分を襲った怪物に仕返しをしてやる・・・そう言い残して、武器屋の親父はフローベル教会のベッドを脱け出したらしい。そして、自分の店から鋼鉄製の槍を持ち出し、腕や足、頭などに包帯を巻きつけた姿のまま、わめきながら街を出ていったという。

「見えないなあ・・・」

足を止めて前方をすかし見たマリーがつぶやく。俺も答える。

「とにかく、森へ向かったことは間違いないんだ。なにか起こる前に止めなくちゃ」

「その・・・通りです」

ようやく追いついて来たクライスが、あえぎながら言う。

その時、森の方角から近付いてくる1台の馬車が見えた。

商人や近隣の農夫が使っている荷馬車ではなく、きらびやかに装飾の付いた、屋根付きの立派な4頭立ての馬車だ。おそらく、ザールブルグの貴族階級の誰かが乗っているのだろう。

「あ、ちょっと、すみませ〜ん!」

マリーが駆け寄り、声をかける。驚いた御者が、あわてて手綱を引き、馬を止める。相手が貴族だろうと王族だろうと、臆することなく堂々と話しかけられるのが、マリーのすごいところだ。

「あの・・・この辺で、武器屋の親父さんを見ませんでしたか?」

「はあ? 何のことじゃ?」

年老いた御者は、首をかしげて聞き返した。これはマリーの質問のし方が悪い。いくら『職人通り』の名物男とは言っても、貴族に仕えているこの御者が、武器屋の親父を知っているとは思えない。

俺は割りこんで、親父の人相風体を、老御者に説明した。

「ああ、その人なら、さっきすれ違ったよ。すごい勢いで、森の奥へ走って行った。気が違ったみたいな勢いでな・・・」

「ありがとう、おじいさん!」

マリーはお礼を言って、すぐに走り出す。

御者が鞭を入れ、ごとごとと馬車が動き出した時、ふと視線を感じて、すれ違いざまに俺は馬車の窓に目をやった。

馬車の窓から身を乗り出すようにして、10歳くらいの女の子が、じっとこちらを見ていた。栗色の髪に、ピンクのドレスを着て、エメラルド色の瞳を大きく見開いて、子供にありがちな無遠慮さで俺たちを見つめている。

俺がにっと笑ってやると、少女はぷいと顔をそむけ、馬車の中に引っ込んでしまった。まったく、子供ってやつは、かわいくない。

「ルーウェン、何してるの、行くよ!」

マリーの声に、俺は気を引き締めなおし、何が待っているかわからない森の奥へ向かった。