ゆーら博物館〜アトリエ・俺屍ファンサイト〜

「こちらです」

クライスが先に立って、石造りの狭い階段を、地下へと下りていく。

ここは、アカデミーの研究棟だ。研究棟は、特に高度な錬金術の実験が行われている施設で、部外者はもちろん、一般のアカデミー生徒でも立ち入るには許可がいる。

クライスはマイスターランクなので、ここに自分の研究室も与えられており、出入りは自由だ。そこで俺は、クライスの研究室に実験材料を運び込む手伝いをするという名目で、アカデミー事務室の許可を得て、研究棟に足を踏み入れることができた。

いったん、2階にあるクライスの研究室に落ち着いた後、クライスが、大講堂でヘルミーナ先生の講義が行われていることを確かめてくる。それから、俺たちは階段を下り、ヘルミーナ先生の地下実験室へ向かったのだった。

 

石壁のところどころに取りつけられたランプの薄明かりに照らされる廊下を進むと、左側に真新しい樫材の扉が見えた。

「地下実験室Aです。イングリド先生が言った通り、壊れたドアが、つい最近新しいものに付け替えられたようですね」

ドアには、「関係者以外立ち入り禁止」と張り紙がしてあった。

手袋をしたクライスが、ためらわずドアに手をかける。が、頑丈なドアはびくともしない。

「やはり、鍵が掛けられていますね」

「よし、ここは俺に任してくれ」

俺は身をかがめると、持って来ていた細い針金の先を慎重に鍵穴に突っ込む。

手応えを確かめながら、何度も微妙に角度を変えて針金を動かす。やがて、内部でカチャリと音がして、鍵が外れた。

「なかなか見事な腕ですね」

クライスが珍しく、感心したように言う。俺はうなずいて、

「ああ、ダンジョンで財宝探しをする時には必須のテクニックでね。これができないと、トラップにはかかるわ、宝は手に入らないわ、とんでもない目に遭うのさ」

そのまま、俺はドアを開けようとしたが、ふと気になって、ドアの周囲に注意深く視線を走らせた。やがて、予想していたものが目にとまる。

「ちょっと待ってくれ。・・・やっぱりな」

「どうしたのですか」

俺はドアを細めに開けながら、手を伸ばして、ドアと壁の隙間に挟まっていた1本の糸のような物を抜き取った。薄紫色をしたそれは、蜘蛛の糸のように細い。

「何ですか、それは」

俺は、光にかざして見せた。

「あの先生の髪の毛だな。なかなか用心深いぜ。部屋を出る時に、こうして髪の毛をドアに挟んでおくんだ。留守中に誰かがドアを開ければ、この髪の毛が床に落ちて、戻って来た時に、誰かが侵入したことに気付くって寸法だ」

「なるほど」

「まあ、盗人や押しこみ強盗の多い土地で暮らす時は、なかなか役に立つやり方なんだが・・・。こんな手を知ってるなんて、あの先生、ただ者じゃないな」

「とにかく、手早く済ませてしまいましょう」

クライスが実験室の奥へ踏みこむ。俺は髪の毛を元の位置に挟むとドアを閉め、内側から鍵をかけた。

 

あらためて、部屋の中を見まわす。

生徒の実習に使わせるためか、手前にはかなりの空間が空いており、折り畳み式の作業台が、今はきちんと折り畳まれて壁際に積み上げてある。

正面の作業台の上には、ガラス器具やランプ、天秤といった、マリーの工房でも見慣れた道具類がきちんと並べられている。その正面の壁の棚には、ガラス扉でさえぎられた向こうに、様々な色の薬品が入ったガラスびんがひしめいている。ガラス扉はふたつに仕切られ、左右それぞれに文字が記されている。左の文字は『実習用:生徒の使用可』、右の文字は『講師用:生徒は使用禁止』となっている。

作業台の右側にはマリーの工房のものと良く似た大釜が置いてある。左側の壁に造り付けられた本棚には、古ぼけた本がぎっしりと詰まっている。作業台の下には、アイテムの保管箱らしい、しっかりした造りの大きな木箱がある。

まずクライスは、棚に並んだ薬びんに目をつけた。ガラス扉を開け、ひとつひとつ手に取る。

「こちらの『実習用』と書かれた棚にあるのは、ごく基本的な薬品ですね。中和剤、栄養剤、各種のワイン、アルコール、研磨剤、塩、蒸留水などです。しかし、『講師用』の方は・・・」

クライスは首を振った。

「かなり高度で危険な薬品が多いようです。しかも、ラベルを貼ってすらいないので、私としても中身は推測するしかありません。例えば、これは『虹色の聖水』、この黒いびんは、ある種の毒薬のような気がします。強力な火薬もあるようです。このピンクの粉は、文献でしか見たことがありませんが、一種の惚れ薬だと思われます。そしてこれは・・・」

クライスが掲げて見せたびんには、どろりとした赤黒い半透明の液体が詰まっていた。

「これなどは、私にも見当がつきません。書物でも読んだことがありませんし、初めて見るものです」

次に、クライスは本棚に目を向けた。真剣な表情で、次々と背表紙に書かれた本のタイトルに目を走らせる。

「ここの蔵書は、大したものですね。図書館には収められていないような貴重な文献もいくつかあります。それに・・・」

奥の棚に目を移したクライスは絶句した。目を見張り、顔をすりつけるようにして、そこに書かれた文字を確かめる。手を伸ばそうとしたが、思い直したように引っ込めた。まるで、触れるのを怖れているかのようだ。

振り返ったクライスが言う。

「とんでもないものを見つけてしまいました・・・。この奥の書棚に並んでいる何冊かは、古来より禁忌の書物として封印され、焼き捨てられたはずのものです。私も、マイスターランク以上の者にだけ閲覧を許される古い稀書の中で、その題名を垣間見たことがあるに過ぎません。やはり、この実験室では、きわめて危険でおぞましいことが行われていたのだと考えざるを得ませんね」

「だけど、肝心の『生きてるうに』の化け物に関する証拠がないな」

「こちらを見てみましょう」

クライスは、俺に手伝わせて、作業台の下にあったアイテム保管箱を引きずり出した。

ふたりで、重そうなふたに手をかける。

持ち上げようとした時、俺は不意に不安に襲われた。冒険者としての、本能的な反応だ。

「いかん、開けるな、クライス!」

だが、クライスは既にふたをわずかに持ち上げていた。

シューッという音とともに、霧のようなものが身体を包む。

「トラップだ!」

叫ぼうとした俺の声は、のどの途中で凍りついた。

全身が石のように固くなり、ぴくりとも動かせない。目は見え、音は聞こえ、呼吸もできるが、手足は動かせず、声を出すこともできない。気配から察するに、クライスもまったく同じ状態のようだ。

(くそ、油断した!)

後悔しても、もう遅い。

 

薄暗い実験室の中、怪しいアイテムに囲まれて、俺たちは彫像のように固まり、身動きが取れないでいた。

どれくらい、時間が経ったろうか。

背後で、ガチャリと音がした。ドアが開いたのだ。

「ふうん、ねずみが掛かったようね。それも、2匹も。ふふふふふ」

ヘルミーナ先生は、正面に回りこむと、腕組みをして、俺たちを上から下まで興味深そうにながめた。イングリド先生と同じ、左右の色が異なる瞳で見つめられると、それだけで居心地が悪くなる。漆黒の錬金術服に、濃紺のローブをまとい、口元には冷ややかな笑みが浮かんでいる。

「ふふふ、なかなか面白い取り合わせね。マイスターランクの優等生と、酒場にたむろしている冒険者が、一緒に空き巣をはたらくなんて。もしかしたら、あの女の差し金かしら?」

低いがよく通る声でつぶやくように言いながら、ヘルミーナ先生は『講師用』と書かれた棚からガラスびんを取り出した。

「このトラップに使ったガスは、なかなか便利なものでね。運動神経を一時的な完全にマヒさせてしまうのさ。もちろん、成分を変えれば、呼吸筋や心臓を止めてしまうこともできるんだけどね、ふふふふふ」

俺たちに言い聞かせるようにしながら、びんのふたを取り、中の液体に指先をひたす。

不気味な笑みを浮かべながら、ぬれた指先で、動かない俺のくちびるに触れ、なまめかしい動きでなぞる。まるで、ヘビの舌でなめられているような気がした。クライスにも同じことをすると、ヘルミーナ先生は一歩下がって、再び腕組みをした。

「選択的に作用する解毒剤を使ったわ。首から上は自由になったでしょう。しゃべってもいいわよ。・・・いいえ、どうしてもしゃべってもらわなくてはね、ふふふふ」

「あ・・・」

俺は声を出した。口がきけるようになっている。目も動かせるし、首も回せる。しかし、首から下は相変わらず、凍りついたように動けないままだ。

クライスは黙ったまま、じっとヘルミーナ先生を見つめる。本来なら、眼鏡の位置を整えたいところだろうが、手は動かせない。

「さあ、白状なさい。誰に頼まれたのか、ここへ何をしに来たのか、一切をね」

わずかの温かみも感じられない口調で、ヘルミーナ先生は俺とクライスを交互ににらむ。

自分でも思うが、正直言って、俺は嘘がへただ。ここは黙って、口達者なクライスに任せよう。そう思って、俺はクライスを見やった。

一瞬、俺の視線を受けとめたクライスは、初めて口を開く。

「黙秘権を行使します」

ぽつりと言って、口をつぐむ。いつもの冷静な口調だ。

 

ヘルミーナ先生の笑みが広がった。しかし、その表情は獲物をいたぶる猫を思わせた。

「そう・・・わかったわ。わたしも、あまり手荒な真似はしたくないんだけれどね、ふふふふ」

くるりと背を向け、再び棚から別の薬びんを取り出す。 目の高さにかざして、軽くびんを振りながら、

「この薬を使ってもいいのよ。ふふふ。これを使うとね、心で思っていること、隠したいと思っていることを、洗いざらい、ぺらぺらとしゃべりたくなってしまうの・・・。ただ、後遺症については、保証できないけどね。後遺症といっても、大したことではないわ。記憶を一部失うとか、寿命が少し縮むとか、その程度のことよ。ふふふふ」

単なる脅しかもしれない。しかし、この先生のことだ。何をされても不思議ではない。

クライスがひとつため息をつき、口を開く。

「その前に、質問させてください」

「ふふふ、そんなことを言える権利があると思っているの? でも、まあいいわ、言ってごらんなさい」

「ザールブルグ近郊の森で、武器屋の親父さんが何物かに襲われた事件・・・。この事件には、錬金術によって創り出されたなんらかの新種の生命体が関与しているのではないかと、私は推測しています。そして、その生命体は、他ならぬここ、アカデミー地下実験室で生み出されたのではないか、と」

「ふうん・・・」

ヘルミーナ先生は、あらためてクライスを見やった。その瞳に、面白がっているような光が浮かんでいる。

「さすがは首席、ばかではないようね、ふふふ。・・・それで、その証拠を調べに来たというわけかしら?」

クライスは黙っている。ヘルミーナ先生は続ける。

「で、どう? 証拠とやらは見つかったかしら?」

「いいえ、残念ながら、直接証拠となるものは、発見できませんでした。しかし、この部屋に並べられた禁忌の書物、そして危険極まりないアイテムや薬品を見ると、疑念は増すばかりです。それに加えて、昨夜、ここにいるルーウェンくんが、近くの森で異様な儀式を執り行うヘルミーナ先生を目撃しています」

ヘルミーナ先生が、じろりと鋭い視線で俺を見た。俺は思わず首を縮めた。

クライスは、いったん言葉を切ると、覚悟を決めたようにきっぱりと言った。

「ヘルミーナ先生・・・あなたは、恐るべき怪物を、この世に解き放ってしまったのですか?」

 

しばらくの間、実験室はしんと静まり返っていた。クライスの言葉の残響だけが、俺の心の中に響いていた。

ヘルミーナ先生は、ゆっくりと腕組みを解き、口を開いた。

「ふふふふ、ひとつだけ忠告しておくわ。イングリドに何を吹きこまれたのか知らないけれどね。・・・いいこと、余計なことには首を突っ込まない方が、身のためよ」

「答になっていません」

クライスの言葉には答えず、ヘルミーナ先生は俺の方をにらむ。

「変な邪魔さえ入らなければ、昨夜のうちに片がついていたはずなのにね、ふふふ」

そして、別の薬びんを取ると、中身を少しずつビーカーに注ぎ、俺とクライスに飲ませた。

あっという間に、身体の自由が戻ってくる。

手足の動きを確かめるように曲げ伸ばししている俺たちを見やり、ヘルミーナ先生はつぶやくように言った。

「ふふふ、今回のことは、わたしが自分の手でけりをつけるわ。たとえ、どんな手段を使ってもね。ふふふふふ。誰にも、邪魔はさせない・・・」

その氷のような視線は、あやゆる言葉を拒絶して、出て行けと俺たちに告げていた。