森の様子は、いつもと変わらなかった。まだ日が差しているためか、夜の森で感じるような不気味な雰囲気はなく、とても平和に見える。
だが、奥へ進むにつれ、俺は背筋がぞくぞくしてくるのを感じていた。
なにか、危険なものに近付いている。冒険者の本能が、そう教えてくれるのだ。
気が付けば、昨夜、ヘルミーナ先生を目撃した空き地の近くに来ていた。
「気を付けろ、マリー。近いぞ!」
無鉄砲に茂みをかき分けて突っ込んでいこうとするマリーに怒鳴る。
そのとたん・・・。
大地を揺るがすような轟きが、森のざわめきを圧して響いた。耳に聞こえた、というより、全身で感じたという方が正しい。
「何だ!?」
「あっちよ!」
「気を付けてください!」
俺たちは武器を確かめると、意を決して茂みを抜ける。
茂みを出たとたん、地面に転がっている人の身体に気付いた。死んではいないようだ。身じろぎし、うめいている。そばには、ぐにゃりと曲がった鋼の槍が放り出されている。
あちこちに巻かれていた包帯はずたずたになり、新たな血がにじんでいる。
「親父さん!」
マリーが抱き起こす。親父は一声うめくと、切れ切れに言葉を絞り出す。
「だめだ・・・。『うに』を投げて、誘い出したのはいいが・・・。俺の手にゃ、負えねえ・・・」
クライスが、はっと息をのむ。
「出るぞ!」
異様な殺気を感じた俺は、叫んだ。
空き地の向かいの森が、どよめいた。
ばりばりと音をたてて幹が砕け、土ぼこりが舞う。地震のような振動に、大地が震える。
「きゃあ!? 何なの、これ!?」
その姿を見たマリーが叫ぶ。感情をなくしたような口調で、クライスがつぶやくように言う。
「これです・・・“彼女が創り出したもの”の正体は。『生きてるうに』が、変異して怪物化したものですよ」
それは、まさに『うに』そのものだった。形と大きさが桁違いなことを除けば、の話だが。
その怪物は、子供が粘土細工で作った不恰好な人形を、そのまま巨大化したように見えた。材料は、もちろん『うに』だ。茶色い、無数の『うに』が、重なり合い、繋がり合って、ずんぐりした巨体を形成している。全体の大きさは、高さも幅も、人間の数倍はある。また、材料となっている『うに』のひとつひとつも、とてつもなく大きい。普通の『うに』の10倍近く、人の頭ほどもある。そして、その怪物のもっとも不気味な点は、短い不恰好な手と足らしきものがあり、頭部もあって、どこか人の形に似ていることだった。
「うに・・・魔人・・・」
マリーがつぶやく。おとぎばなしに出てくる魔人を連想したのかも知れない。
「ど・・・どうすりゃいいんだ?」
剣を抜いてはみたものの、俺は立ち尽くしていた。こんな怪物に剣を振るって立ち向かったところで、弾き飛ばされ、押しつぶされるのが関の山だろう。
ずしん。 鈍い音を立てて、『うに魔人』(マリーが付けた名前を使わせてもらう)が一歩前に踏み出す。幸い、その動きは鈍いようだ。倒すことができるかどうかは別問題だが。
「おい、クライス」
俺は横目でクライスを見た。こうなったら、クライスの知恵に頼るしかない。
じっと『うに魔人』を見つめていたクライスは、鋭い声で叫んだ。
「マルローネさん! メガフラムを!」
「ほいきた!」
マリーが、手にしていた赤黒い爆弾を怪物めがけて投げつける。
「いっけえ~~~っ!!」
爆発音とともに、壮大な火柱があがり、怪物を包む。
「やったか・・・!?」
煙が晴れると、先ほどとまったく変わらない『うに魔人』の姿があった。一瞬、動きを止めたかに見えたが、再びのろのろと動き出した。
「うそぉ!? 効いてないよぉ!」
マリーが悲鳴に近い声で叫ぶ。
その時、背後の薮がざわめき、戦鎧に身を固めた数人の男が現れた。
「何事だ!?」
青く輝く鎧を着けた男が叫ぶ。どうやら、巡回中の王室騎士隊の分隊が、異変に気付いて様子を見に来たのだろう。
「何だ、こいつは!?」
分隊長らしい聖騎士は、驚きの声をあげたが、すぐに気を取り直す。
「怪物め!・・・総員、突撃!」
部下に命令を発し、自らも聖騎士の剣を抜き放って突っ込んでいく。
「おい、無茶だ!」
俺の声に耳を貸す間もあればこそ・・・。
『うに魔人』が、腕らしき部分を、なぎ払うように振った。
突進した騎士たちは、避けることができない。弾き飛ばされた騎士は、地面や木の幹に叩きつけられる。手甲や胸当てに守られていない部分の黒い肌着はずたずたになり、鎧そのものも衝撃にへこんでいた。
「ちょっと! 大丈夫?」
マリーが騎士たちに駆け寄ろうとする。クライスが鋭い声で止める。
「マルローネさん!」
「何よ!」
「負傷者は私たちに任せて、爆弾を投げ続けてください」
「だって、あいつには効かないのよ!」
「少なくとも、動きを止めることはできます」
「わかった!」
マリーが次々にメガフラムを投げつける。爆発が森を揺るがし、熱風が木々を焦がす。だが、『うに魔人』は動きこそ止めたものの、ダメージを受けた気配はない。
「おい! しっかりしろ!」
俺が助け起こした聖騎士は、うめいて意識を取り戻した。だが、身体はわなわなと震えている。魔物退治に慣れた騎士でさえ、こんな怪物にお目にかかるのは初めてなのかも知れない。
聖騎士は、剣を支えにしてよろよろと立ち上がると、部下に叫んだ。
「全員、撤退! 援軍を要請する!」
そして、くるりと背を向けると、おぼつかない足取りながらも、さっさと逃げ出してしまった。他の騎士たちも、算を乱してその後を追う。
「こらぁ! それでも騎士なの!? 逃げちゃダメじゃない! 市民を守る義務と責任はどうなってるのよ!?」
爆弾を手にマリーが怒鳴ったが、応える騎士はいない。まあ、あの様子では、この場にとどまっていたとしても、助けにはなるまい。こういう状況では、マリーの方がよほど頼りになる。
「どうするの、クライス!? このままじゃ、爆弾がなくなっちゃうよぉ!」
マリーが叫ぶ。クライスは、必死な表情で考え込んでいた。
その間にも、爆弾攻撃の間隔が空いたためか、怪物は徐々に動き始め、俺たちに迫ってくる。
「クライス!」
「だめです・・・。私たちの戦力では・・・」
「何、気弱なこと言ってるのよ!?」
『うに魔人』は、既に空き地の中央まで来ていた。巨大な影が迫る。もう、逃げるしかないのか・・・。
その時・・・。
「ネーベルディック!!」
鋭い声とともに、巨大な水柱が地面から湧きあがり、怪物の巨体を包んだ。夕立のような水しぶきが俺たちにも振りかかる。霧のようなしぶきをすかして頭上を振り仰いだ俺は、ほうきにまたがり、杖を持った女性の姿を見た。
「ヘルミーナ先生・・・?」
つぶやくようなマリーの声に、クライスの声が重なる。
「水属性の魔法攻撃・・・!?」
「ふふふふふ。また会ったわね」
俺たちのそばに降り立つと、ヘルミーナ先生は怪物に目を向けたまま、言う。
「余計なことに首を突っ込むなと言ったはずよ・・・」
「成り行きです」
「ふふふふふ、まあ、どうでもいいわ。それより・・・」
杖をかざす。
「こいつは、かなり厄介な相手ね」
いつになく真剣な表情だ。
(おいおい、自分がこの怪物を創ったくせに、何を他人事みたいなことを言ってるんだ?)
俺は思ったが、言葉にしている余裕はない。
「ネーベルディック!」
もう一度、水柱が立ち、怪物を押し包む。しかし、水が流れ去り、しばらくすると、水にぬれて更に黒々とした色になった『うに魔人』は、またものろのろと前進を再開した。
「あまり効き目はないようですね」
クライスの口調は冷静さを取り戻していた。
「困ったわね・・・。魔法陣を描いている時間はないし」
ヘルミーナ先生が謎めいたことを言う。
「来るよ! どうしよう!?」
気を失った武器屋の親父を背後の木陰に引きずり込んだマリーが、戻ってきて叫ぶ。
その声をかき消すように、閃光が走り、雷鳴が轟いた。
「シュタイフブリーゼ!!」
雷光に撃たれた『うに魔人』は、全身を火花に被われ、しびれたように動きを止める。
「イングリド先生まで!」
頭上を見たマリーが叫ぶ。
「ヘルミーナ・・・! あなた、なんということを!」
ほうきから降り立ったイングリド先生は、怪物から目を離さず、厳しい口調で言い放つ。
「あなたの知ったことではないわ。余計な真似はしないでちょうだい」
ヘルミーナ先生の冷ややかな声。イングリド先生は、怒りを含んだ声で、
「まったく・・・あなたって人は、昔から、そう。いつも、自分ひとりで抱え込んで、自分勝手に動いて・・・。放っておくわけにはいかないじゃない!」
怒りを叩きつけるように、杖を振り下ろす。
「シュタイフブリーゼ!」
「ひゃっ!」
マリーが、自分が雷に襲われたかのように頭を押さえ、首をすくめる。イングリド先生の怒りには、本能的に反応してしまうのだろう。
再び雷光に貫かれた『うに魔人』は、一瞬よろめいたが、やがて威嚇するように腕をゆるゆると持ち上げる。
「雷属性の魔法も、さして効果はありませんか・・・」
考え込んでいたクライスが、ふと顔を上げる。
「全体攻撃ではだめでも、攻撃を一点に集中すれば・・・」
クライスは、みんなを呼び集め、自分の作戦を説明する。
「危険だわ・・・。大丈夫なの?」
イングリド先生が俺を見る。
「やるしかないでしょう」
貧乏籤(くじ)を引くことになった俺だが、覚悟は決めている。
「やらないよりはましってところかしら。ふふふふ」
「よぉしっ! それじゃ、いくよ~!!」
マリーは叫ぶと、飛び出していった。怪物の側面に回りこみ、杖から電光を飛ばす。
「ほ~ら、こっちだよ! こっちへおいで~!」
怪物はゆるゆると向きを変えると、マリーを追うように踏み出す。
その隙に、俺は森を回りこんで、空き地に面したなるべく高い木によじ登る。
こずえの高みに上りつめると、剣を抜き、枝をすかして空き地を見やった。
マリーを追った『うに魔人』は、森へ近付き、手の届きそうなところまで来ている。その頭は、俺が今いるところとほぼ同じ高さだ。
「ルーウェン、お願い!」
マリーが一目散に茂みへ飛び込む。
怪物が、一瞬、足を止めた。
「今だ!」
俺は抜き身の剣を両の手で逆手に握り締め、思いきり枝を蹴った。