「あ、あの・・・」
凍りついたように立ち尽くしていた俺たちは、ルイーゼのおずおずとした声に、はっと我に返った。心は日常に引き戻される。
ルイーゼは小首をかしげ、夢見るような表情で微笑んでいる。
「皆さん、何のお話をされているのですか・・・?」
そうだ。まだ部外者のルイーゼがいたのだ。彼女がいるところで、『生きてるうに』の謎や、事件とヘルミーナ先生の関係などを話し合うのはまずい。
マリーがあわてて両手を振る。
「あ、あははは、何でもない。何でもないのよ。それより、もう実験はいいの?」
「はい、疲れてしまいましたし・・・。今日は本当に、ありがとうございました」
にっこり笑って太陽のように微笑む。そして、ふと思いついたかのように言う。
「あの、お礼がしたいのですが・・・。よろしければ、今度、お昼でもご馳走させていただけませんか」
「わあ、素敵ね。ぜひご馳走になるよ」
食べ物には目のないマリーが、嬉しそうに答える。
「ちょっと待ってください。その料理は、まさかあなたが作られるのでは・・・?」
クライスが言う。ルイーゼは微笑んで、うなずく。
「はい、わたしの手料理で、カロリー控えめの理想的な昼食メニューを・・・」
「私は、遠慮させていただきます」
クライスはぴしゃりと言った。
「そうだな、俺もパス」
数日前にルイーゼが調理した、この世のものとも思えない朝食を思い出して、俺も首を振った。
「何よ、ふたりとも、意地悪なこと言って。人の好意は受けるものよ。クライスはともかく、ルーウェンまでどうしちゃったのよ」
反論するマリーに、俺はささやきかけた。
「いいか、ルイーゼさんの料理の腕前はな・・・。マリー、あんたといい勝負なんだ」
「え、そうなの?」
マリーが目を丸くする。そして、苦笑してルイーゼを見やる。
「あははは、じゃあ、あたしも遠慮しとくわ。気持ちは嬉しいけど。ごめんね」
「そうですか・・・。残念です」
「そうです。それが賢明でしょうね」
クライスが言い添える。さらに、言い足りないと思ったのか、
「そもそも、料理と錬金術は、基本的には同じものだと言えるのですよ。どちらも、レシピ通りに材料を処理して、完成品を作り上げる。その基本をマスターした上で、さらなる工夫を加え、より高度なものを目指していく。その姿勢に変わりはありません」
この言葉に、ルイーゼはぱっと顔を輝かせた。
「それじゃ、料理をお勉強すれば、錬金術の腕も上がるということなんですね」
「まあ、基本的にはそういうことです」
ルイーゼはこくこくとうなずき、
「わたし、お料理を勉強します! 叔母様に教わります。叔母様は、とってもお料理が上手なんですもの。・・・あ、よろしければ、マルローネさんもご一緒にいかがですか?」
「あ、それもいいかもね・・・。でも、今はちょっと忙しいから、また今度ね」
「マルローネさんには、時間の無駄かも知れないですけれどね」
「むっか〜っ! どういうことよ、クライス!」
「それよりも、今はもっと大事なことがあるでしょう」
「あ、そうだった・・・。それじゃね、ルイーゼ。またね」
ルイーゼは何度もお辞儀をしながら、帰って行った。
「さて・・・」
クライスは俺とマリーに向き直ると、眼鏡を整えて、おもむろに話し始めた。
「これまでわかったことを整理すると、いくつかの疑問が浮かび上がってきます。まず第一は、昨夜、近くの森でルーウェンくんが目撃した、ヘルミーナ先生の不審な行動です。その目的は不明ですが、少なくとも、黒魔術の類に属する危険な実験を行おうとしていたのは間違いないでしょう」
俺はうなずいた。あの光景を思い出すと、今も背筋が寒くなる。
クライスは続けた。
「次は、先ほどの『生きてるうに』の問題です。ピッコロくんが受けた傷と、武器屋の親父さんの全身に印されていた傷とは、規模の違いこそあれ、非常に似通った点があります。親父さんが受けた傷は、刀傷でも矢傷でも、けものの噛み傷でもありませんでした。打撲もひどく、なにか、たくさんの細かいとげの生えた武器で、何度も殴られたような印象がありました。そう、例えば『うに』のような・・・」
俺とマリーは、息をのんで顔を見合わせた。さらにクライスは続ける。
「ここでも、不思議な暗合というか、共通点があります。『生きてるうに』というレシピが、ヘルミーナ先生のオリジナルレシピだということです。私も知らなかったほどですから、この『生きてるうに』というレシピは、まだほとんど世間には知られていないと言っていいでしょう。『生きてるうに』自体は、大きさも小さく、さして危険なものではありません。しかし・・・」
クライスは言葉を切った。真剣な表情で、俺とマリーを交互に見る。
「ここからは、私の推測です。・・・ヘルミーナ先生は、『生きてるうに』のレシピになんらかの手を加えて、『生きてるうに』を巨大化または狂暴化することに成功したのではないでしょうか」
「そんな・・・!?」
マリーがごくりとつばを飲みこむ。俺は、なんとか筋道を立てて考えようとして、言葉を選びながら言った。
「それじゃ、こういうことか・・・? ヘルミーナ先生が作った、その『うに』の化け物が近くの森に潜んでいて、たまたまそこを訪れた武器屋の親父さんを襲ったって?」
「たまたまじゃないよ、きっと」
マリーが断定口調で言う。
「前に酒場で聞いたことがあるよ。『うにを粗末にするとバチがあたる』って。親父さんも、“うに投げ”の練習とかいって、『うに』を粗末にしたから、その『生きてるうに』の化け物に襲われたんじゃないのかな」
「そういえば、ゆうべのヘルミーナ先生も、『うに』を集めて焚き火をしていたな。何か意味があるのかな?」
「そのあたりのことについては、もっと情報を集めなければいけませんね」
クライスはうなずくと、先を続ける。
「おそらく、その怪物は、ヘルミーナ先生の実験室で生み出されたのでしょう。覚えていませんか、イングリド先生の話の中に、ヘルミーナ先生が地下実験室のドアの修理依頼を出したという情報があったのを」
「そういえば、そんな話があったな」
「そのドアは、怪物が地下実験室を脱け出す際に、破壊されたのではないでしょうか」
「そっか。爆弾じゃなかったんだ」
しばらく、沈黙が工房の中を支配した。
「で・・・どうする?」
俺は尋ねた。
「今度こそ、イングリド先生に報告するかい?」
クライスは首を横に振った。
「確かに、すべての情報はヘルミーナ先生を指しています。しかし、どれもこれも状況証拠に過ぎません。決定的な証拠をつかむ必要があります」
「決定的な証拠・・・って、どうするのよ?」
「実験室を調べてみるしかないでしょう」
「実験室・・・って、アカデミーの?」
「ヘルミーナ先生の地下実験室です。なにか証拠が残っているとすれば、そこ以外にはないでしょう」
「だけど、調べさせてくれるかな」
「もちろん、こっそり忍び込むのです。ヘルミーナ先生が不在の時を狙って・・・」
クライスの眼鏡のフレームが光る。
「でも、いつヘルミーナ先生が留守だってわかるのよ?」
「それは、調べる必要があります。マルローネさんは、アカデミーの講義の時間割を・・・」
クライスは言葉を切り、肩をすくめる。
「・・・持っているはずが、ありませんよね」
「なんでそこで断定するのよ!?」
「では、持っているというのですか」
「それは・・・。持ってないけど」
「やはり、お聞きするだけ無駄でしたね」
「何よ! クライス、あんたこそ、偉そうなこと言って、知らないんじゃないの!」
「私は既にマイスターランクの人間ですからね。アカデミーの通常の時間割を関知している必要はありません」
「もう! この役立たず!」
「あなたよりはましです。・・・それより、実験室を調べに行く時は、マルローネさんには留守番をしていただきますからね」
「なんで!? あたしも行きたいよ!」
「これは、細心の注意を要する調査なのです。しかも秘密裏に行わなければなりません。あなたのように、がさつでそそっかしい人がいたのでは、百害あって一利なしです」
「ふん、どうせあたしは、すっとこどっこいですよ!」
マリーはふくれたが、俺もこの際はクライスに賛成だった。
「それにしても、ヘルミーナ先生のスケジュールですね・・・」
クライスが考えこむ。その時・・・。
「あ、あの・・・」
背後から声をかけられ、俺は飛びあがりそうになった。
いつのまにか、工房の入り口のところにルイーゼが立っている。
いつからいたのだろう。話を聞かれてしまったのだろうか。
「すみません、何度もお邪魔して。実は、忘れ物をしてしまったもので・・・」
ルイーゼは、作業台の下に置きっぱなしになっていた採取かごを示した。
マリーがあわててかごを渡すと、ルイーゼは微笑んで、出ていこうとする。
どうやら、話を聞かれてはいなかったようだ。俺とクライスはほっとして目を合わせる。
その時、振り返ったルイーゼが、にっこり笑って言った。
「あ、そうそう。ヘルミーナ先生のスケジュールでしたら、今日は午後いっぱい、『四大精霊概論』の集中講義をなさっているはずですけれど」