「できました・・・」
ルイーゼの声に、俺もクライスも作業台に近付いた。爆風で乱れた髪をなでつけ、布で顔のすすをぬぐったマリーも覗きこむ。
ランプから下ろされた乳鉢の中には、丸く、全体をちくちくしたとげで覆われた『うに』が入っていた。『祝福のワイン』と『植物用栄養剤』を吸って、元々の茶色が、より濃くなったように見える。
「本に書いてある通りなら、これが生命を得て、生き生きと動き出すはずなんですけど・・・」
ルイーゼは、自信なさげに言う。俺たちは、じっと待った。
『うに』は動かない。
しびれを切らしたマリーが、恐る恐るガラス棒で突ついてみる。
「お・・・」
『うに』が、ぴくりと動いた。乳鉢の中で、弱々しく回転する。
だが、それだけだった。
『うに』は力尽きたように動きを止め、それ以降はいくら待っても動きそうになかった。明らかに、生命力は失われていた。
「失敗・・・でした」
ルイーゼがつぶやく。マリーが力づけるように言う。
「でも、ちょっとは動いたじゃない。前向きに考えなきゃ」
クライスが一歩下がると、気取って眼鏡の位置を整え、口を開く。
「今の実験を見ていて、私が思うに、おふたりとも、錬金術をするには致命的な欠点があるようですね」
「何よ! どこが欠点だっていうのよ」
マリーが気色ばむ。クライスはそれを無視し、
「マルローネさんは、私が常日頃から指摘している通り、作業が大雑把過ぎます。だいたい、薬品の分量を正確に計らず、びんから直接材料に注ぐなど、言語道断です。ランプの火の使い方も、初心者の域を出ていません。いくら時間に追われることが多いとは言え、何でも強火で一気に暖めようとしたら、うまくいくものもうまくいかなくなってしまいますよ。もっと細心の注意をもって扱っていただきたいものです」
「悪かったわね」
次にクライスはルイーゼを振り向く。
「ルイーゼさんは、マルローネさんの逆です。注意深くされるのはいいのですが、あなたの場合は度を越しています。時間がかかりすぎるために、薬品や材料が変質や劣化を起こしてしまうのです。これでは、成功は望むべくもありません」
「すみません・・・。それに、わたし、目が悪いもので、よく見て確かめないと、すぐ間違えてしまうんです。時々、右も左もわからなくなったりして・・・」
「目が悪いのなら、私のようにちゃんと眼鏡をかけて矯正すべきでしょう」
「はい、でも・・・」
ルイーゼがうなだれる。マリーが傍からかみつく。
「何よ、クライスったら、さっきから聞いてれば、えっらそうに! 言うだけなら、誰でもできるわよ」
「失礼なことを言いますね。私は決して、口だけの人間ではありません」
「じゃあ、あんた、やって見せてよ」
マリーの挑発に、クライスは肩をすくめた。
「仕方がありませんね。私は、実験は高度な研究のためにだけ行うようにしているのですが・・・。いいでしょう、模範をお見せしましょう」
クライスは、無造作に作業台に歩み寄ると、おもむろに作業を始めた。
これまでマリーの調合しか目にしていなかった俺は、あらためて、錬金術とはこういうものだったのかと目を見張らされた。マリーに比べると、クライスの手際はまさに神業だった。
びんと試験管を手に取り、無駄のない動きで薬を注ぐ。手が、適量を覚えているかのようだ。同じような動きで注がれ、試験管立てに並べられた『祝福のワイン』と『植物用栄養剤』が入った試験管。その赤い液体と緑の液体の水面の高さは、寸分たがわず同じだった。
あらかじめ湯に浸けて暖めておいた乳鉢に『うに』を入れ、若干の蒸留水を吹きかけた上で、ランプの火にかける。ランプの炎は弱火だ。そして、両手に持った試験管を正確に同じ角度に傾け、ワインと栄養剤を等量に注いでいく。すべて注ぎ終わると、わずかに炎を強め、ガラス棒で時おり『うに』を突ついて回転させる。
「回転させるのは、熱が均等に行き渡るようにするためです。また、最初に蒸留水を少量加えたのも、適度な湿り気を与えて薬剤の吸収を早めるためです。ただ材料を混ぜ合わせればよいというものではないのですよ」
とクライスは注釈を加えた。
やがて、『うに』を浸していた液体がすべて消えると、クライスはランプの火を消し、乳鉢を作業台に下ろした。
「終りです」
クライスは、得意そうな様子も見せず、淡々と宣言した。
俺は、クライスの錬金術師としての手腕を、あらためて思い知らされていた。アカデミー首席も、だてではない。クライスは、マリーにはない繊細さとルイーゼにはない大胆さを、バランスよく持ち合わせている。どちらの要素も、錬金術には必須のものなのだろう。
俺たちが期待をこめて見守るうちに、乳鉢の『うに』がぴくりと動いた。
そして、次の瞬間、ぴょんと飛び上がると、ころころと工房の床を転がり始めた。
「わ、すごい!」
マリーが歓声をあげた。ルイーゼが感動したように、
「本に書いてある通りです」
とつぶやく。
「わあ、何それ〜?」
工房の奥で作業をしていた赤妖精のピッコロが、気付いてこちらに出てきた。『生きてるうに』は、ピッコロの足元を勢いよく転がっていく。
「わ〜い、鬼ごっこだ〜!」
はしゃいだピッコロは、工房中を転げまわる茶色い『うに』を追いかけて走りまわった。
「ちょっと、ピッコロ、走りまわっちゃ危ないよ!」
マリーの注意も耳には届かない。
やがて、ピッコロは工房の隅に『うに』を追い詰めた。
「もう逃げられないぞ〜」
ピッコロは、壁際で動きを止めた『うに』を、得意そうに指先でつつく。
そのとたん・・・。
『うに』は、ぴょんと跳ねると、勢いよく宙を飛んで、ピッコロの顔を直撃した。まるで体当たり攻撃だ。
びっくりしたピッコロは、ぺったり床に座りこむと、やがて顔をゆがめて泣き出した。
「わあん、痛いよ〜。とげがちくちくするよぉ」
「ほら、言わないこっちゃない」
マリーが駆け寄る。 俺は、自分の方に転がってきた『うに』を取り押さえた。とげに刺されないよう、マントの端を使ってくるみこむ。
「ふう・・・。けっこう凶暴だな、こいつ」
俺のつぶやきに、クライスの目が光った。
つかつかとピッコロに歩み寄る。俺もつられて覗きこんだ。
マリーになだめられているピッコロの右側の頬から額にかけては、たくさんの細かなすり傷と切り傷におおわれていた。『生きてるうに』の体当たりをくらった側だ。頭にかぶった赤い帽子も、細かくほつれている。
「似ていませんか、ルーウェンくん」
クライスが感情を押し殺した声でつぶやく。
「え、何がだよ」
「武器屋の親父さんの傷にですよ」
俺は思い出した。確かに、あの時茂みから転げ出てきた親父の全身にあった傷は、ピッコロが受けた傷によく似ている。
「でも、まさか・・・」
俺はクライスを見やった。マリーもきょとんとして、こちらを見つめている。
「あんなにたくさんのひどい傷だぜ。しかも、相手は妖精じゃなく、腕っ節のある大人だ。こんな『うに』ひとつじゃ・・・」
「ひとつではないかも知れません・・・」
クライスは考え込みながらつぶやいた。
「大量か・・・。それとも、巨大化するかすれば・・・」
「え? 何? 何言ってるの、クライス」
マリーの問いには答えず、クライスはもの問いたげな視線を宙に泳がせた。
「あの人なら・・・やりかねないかも知れませんね」
「あの人・・・って、ヘルミーナ先生のこと?」
マリーの言葉に、クライスは肯定とも否定ともとれない身振りで応える。
俺は何を言えばいいのかわからなかった。
「お、おい、クライス・・・」
クライスは、口元に、やや寂しげな笑みを浮かべて、自分に言い聞かせるように言った。
「錬金術には、無限の可能性がある・・・そういうことです」