ゆーら博物館〜アトリエ・俺屍ファンサイト〜

「あはははは、なんか、すっごい噂になってるみたいね。わざわざ工房まで確かめに来る人までいるんだもん、びっくりしちゃったよ」

マリーは大口を開けて笑いながら、あっけらかんとして言う。

俺とマリーが、夜中に近くの森で逢引きをしていたという噂は、やはりあっという間に界隈に広まったようだ。

「まったく・・・。笑い事じゃないぜ。これじゃ、おちおち外も歩けやしない」

俺がぼやく。

「まあまあ、気にしない気にしない」

マリーが笑顔で、手をひらひらさせる。

「あんたは気にしなくても、こっちは気にするんだよ」

クライスも、あきれ半分、安心半分といった様子で、

「マルローネさん、あなたには当事者意識というものがないのですか。以前からそうだとは思っていましたが、これほどまでに神経が図太い人だったとは・・・。いや、神経がないと言った方が正しいかも知れませんね」

「だって、噂なんてさぁ、いっとき流行っても、すぐに忘れられちゃうよ・・・。ほら、ことわざでもよく言うじゃない。えっと、何だっけ・・・あ、そうだ、『火のないところに煙は立たず』って」

「マリー! 違うだろう!?」

「あれ? 違ったっけ・・・。あ、そうそう、思い出した、『噂をすれば影』だ」

「それも違います。マルローネさんが言いたいのは、『人の噂も75日』でしょう」

「あ、そうか。ちょっと間違えちゃったよ」

「全然、“ちょっと”ではありません。だいたい、あなたの国語能力ときたら・・・」

言いつのろうとするクライスを、マリーが制する。

「ちょっと待って。誰か来たみたい」

確かに、かすかなノックの音がしたようだ。

「は〜い、どなた?」

マリーの返事に、ドアを細めに開けて、水色の錬金術服を着た金髪の女性がおずおずと入って来る。

それは、ルイーゼだった。

「あ、あの・・・」

ひとこと言ったまま、次の言葉を探すように、ルイーゼは小首をかしげて、上目遣いに工房の天井を見上げた。手には、採取用のかごを下げている。

「あれ? あなた、どこかで・・・」

同じように小首をかしげていたマリーが、すぐに素っ頓狂な声を出す。

「あ、あなた、確か補習で一緒だったよね! どうしたの? 何か依頼のご用?」

劣等生仲間の共感からなのか、急にマリーは愛想よく話しかける。

ルイーゼはゆっくりと工房の中を見まわし、

「あの・・・、こちら、錬金工房ですよね」

「そうよ、見ての通り。薬、爆弾、魔法の道具、何でも引きうけるわ。安心、安全、品質保証、信用第一。『マリーのアトリエ』とは、うちのことよ」

「明らかに誇大宣伝、虚偽広告ですね。そのうち商店会から摘発されますよ」

わざとらしく肩をすくめるクライス。マリーは意に介さず、ルイーゼに椅子を勧める。

「ルーウェン、お茶の追加お願い!」

「おいおい、俺は下働きかよ」

と言いながら、ポットにお湯を入れに立つ俺も、相当なお人よしだ。

 

「あの・・・、実は・・・」

「うんうん、それで? 爆弾なら、強力なのがあるよ。中和剤も揃ってるし。それとも、危険な場所での材料採取? それだと割増料金になるけど」

ゆっくりした口調のルイーゼと、せっかちなマリー。ふたりの会話はテンポが合わないことおびただしい。

「その・・・、実験をしたいので、こちらの工房を少しお借りしたいんですけど」

「へ? 実験? なんでアカデミーでやらないの?」

「補習で使わせてもらっていた実験室が、先生の都合で、閉鎖されてしまったんです。わたし、寮に部屋がないもので、実験に使える場所がなくて・・・」

ルイーゼは少し顔をくもらせる。

「今は、叔母様の家に下宿しているんですけれど、しばらく前、実験中にボヤを出してしまったので、部屋での実験は叔母様に禁止されてしまっているんです。それで、どこか場所がないか探していたら、こちらの噂を聞いて・・・」

「そっか。もちろん、構わないよ。今、ちょうど、急ぎの仕事もないし」

マリーは明るく答える。

「うちなら安心よ。夜中に大爆発を起こしても、変な臭いが広がっても、街の人から文句を言われたことないもんね」

「本当ですか? 信じられませんね」

クライスが疑い深そうな声を出す。俺もうなずく。

「もしかしたら、みんな怖くて言い出せないだけかもな。それとも、言っても無駄だととっくに諦められてるのかも」

マリーは俺たちの発言は無視して、ルイーゼに尋ねる。

「それで? どんな実験をするの?」

「はい。この本に載っている実験なんですけど」

ルイーゼは微笑みながら、抱えていた本を見せる。

「ふうん、『魂の秘術』か。あ、これならあたしも図書館で読んだことがあるよ」

どうやら、昨夜、下宿の廊下で見かけた時に読んでいた本らしい。

開かれたページを覗きこんだマリーが、首をかしげる。

「あれ? でも、あたしが読んだ本は、こんなに分厚くなかったような気がするけど」

「これは、改訂版なんですよ」

嬉しそうにページをめくりながら、ルイーゼが説明する。

「補習の2日目に配られたものなんですけど、元々アカデミーの図書館にあった『魂の秘術』に、ヘルミーナ先生が様々な注釈を入れて、新しいレシピをいくつか追加したものなんだそうです」

「へええ。で、今回はどのレシピを実験するの?」

「はい、これです」

ルイーゼは開いたページを示した。クライスも興味深そうに覗きこむ。

「えっと・・・。『生きてるうに』? こんなの聞いたことないよ」

マリーが驚いた声をあげる。

ルイーゼは微笑みながらうなずいて、

「はい、ヘルミーナ先生のオリジナルレシピらしいです。無生物に生命を吹き込む調合は、かなり高度なものですから、失敗することも多いですよね。でも、これなら材料の『うに』はただでいくらでも手に入りますから、練習用のレシピとしては最適なんだそうです。でも、補習の時は、ひとりで居残りまでしたのですが、うまくいきませんでした」

マリーが、俺たちにも聞こえるように、書かれている内容を読み上げる。

「ええと、材料は『うに』と『祝福のワイン』、それに『植物用栄養剤』かあ・・・。なんか、割と簡単にできそうだね。調合手順は・・・ええと、『うに』を適当な容器に入れ、『祝福のワイン』と『植物用栄養剤』を試験管4分の1分注いで、ランプで温めながらむらなく吸収させる・・・か」

「ふむ・・・確かに、生命付与魔法の中では初歩の初歩に属するものですね。私も初めて聞くレシピですが、落第生の練習用レシピとしてはぴったりでしょう」

「お、おい!」

クライスの辛辣過ぎるコメントに、俺は脇腹を突ついて注意しようとした。しかし、当の“落第生”ルイーゼにはクライスの言葉はまったく聞こえていないようだった。いや、聞こえても、自分のことだとは気付かなかったのかも知れない。

 

マリーはさっそく作業台の一画を片付け、実験用の隙間を作った。とはいえ、作業台は、こぼした薬品のしみや焼け焦げで、まだら模様になっている。だが、ルイーゼはまったく気にしない様子で、持ってきた採取かごに入っていた『うに』の山を積み上げた。

「今朝、近くの森へ行って、採って来たんです」

と、微笑む。

「うわあ、すごい量だね。あ、でも、『祝福のワイン』と『植物用栄養剤』は?」

マリーの言葉に、ルイーゼはきょとんとした表情を浮かべた。しばらくして、悲しそうな表情に変わる。目がうるんでくる。

「忘れていました・・・。『うに』を集めることだけに一生懸命になってしまって・・・。どうしましょう、これじゃ、実験ができないわ」

聞いていたクライスが、額に手を当て、処置なしといった表情で天を仰ぐ。マリーも一瞬あっけにとられていたが、あわてて言う。

「あ、だいじょぶよ、ふたつとも、うちに在庫があるから、それを使えばいいわ。お代は後でいいから。現物で返してもらってもいいし」

マリーの好意で、『うに』の山の脇に、『祝福のワイン』と『植物用栄養剤』が入ったガラスびんが並ぶ。ルイーゼは、嬉しそうに作業にかかった。

俺はクライスにささやきかける。

「おい、俺たちは、のんびりと見ていていいのかい? はやく事件の方に取りかからないと」

「まあ、お待ちなさい」

クライスがささやき返す。

「この『生きてるうに』というレシピには、興味があります。特に、問題のヘルミーナ先生が考え出したレシピだというところがね。もしかしたら、何かヒントが得られるかも知れませんよ。レシピを見る限り、短時間で結果が出そうな実験ですし」

 

ところが、それほど短時間というわけにはいかなかった。

なにしろ、ルイーゼの動作がのろいのだ。よく言えば、注意深くやっているのだろうが、それにしてもとろい。

びんから試験管に薬を注ぐ時も、おぼつかない手つきで扱うため、ガラス同士がぶつかりあってカチャカチャと音をたてる。ようやく注いだ後も、目の高さに試験管をあげて、額にぶつかりそうなくらい近付け、何度も確かめるように見つめる。そして、あげくの果てに、「だめだわ、微妙に量が違う」とか、「あら、変ね、こんなにさらさらしていたかしら。補習の時と違うみたい」とか、「手順が違うわ。先にランプの火をつけておかなくちゃ」とか、ひとりごとを言っては作業を中止し、最初からやり直すのだ。

そばで興味深そうに見ていたマリーも、ルイーゼの動作に、次第にいらいらしてきたようだった。そして、ついに、

「あああ、もう、いらいらするぅ! 見ちゃいられないわ。調合っていうのはね、そんなふうにやるものじゃないのよ。あたしが見本を見せてあげるわ!」

言い放つと、材料と器具をかき集め、作業台の反対の側で調合を始めた。

こちらは、ルイーゼの作業とはまったく対照的だった。

手元にあったビーカーに『うに』を入れると、目分量でワインと栄養剤をびんから直接注ぐ。そして、ランプにかけると、いきなり強火で一気に加熱した。

「こういうのはね、大胆にテンポよくやらなくちゃ」

得意そうにマリーが言った瞬間、ボン!と鈍い音をたててビーカーの中身が爆発する。煙が吹きあがり、マリーの顔も金髪も、すすだらけとなる。

「あれぇ、おかしいなあ・・・。よし、もう一度!」

そして再び同じ手順が繰り返される。またも爆発。

その反対側で、ルイーゼは相変わらずのろのろとマイペースで作業を進めている。一心に集中して、周囲の様子も目に入っていないようだ。

結局、ルイーゼが1回目の調合を完了したのは、マリーが10回連続で失敗した後のことだった。