ゆーら博物館〜アトリエ・俺屍ファンサイト〜

明け方近くに、俺とマリーは街へ戻ってきた。

マリーと別れ、下宿のベッドにもぐりこむ。いろいろと考えなければならないことや、クライスに報告して相談しなければならないことがあったが、今はただ、疲れて眠りたかった。

昨夜目にした、ヘルミーナ先生の恐ろしげな姿が脳裏に浮かんで眠れないのではないかと心配したが、思った以上に疲れきっていたのだろう。あれこれと思い煩う暇もなく、俺はぐっすりと眠り込んでいた。

しかし、ほどなく、俺は身体を激しく揺さぶられて、目を覚ました。

「ふぇ?」

ぼんやりと目を開く。

「起きてください・・・。起きなさい、ルーウェンくん!」

ようやく目の焦点が合う。上から覗きこんでいるクライスの顔が、間近に見えた。

「なんだ、クライスか・・・。俺、眠いんだよ、もう少し寝かせてくれよ・・・」

窓から差しこむ光の角度からみると、まだ朝のうちだ。眠ってから1刻と経っていないのに違いない。

「そんなことを言ってる場合じゃありません!」

クライスの激しい口調に、俺はびっくりして身を起こした。2、3度首を振り、頭をしゃんとさせる。クライスがこれだけあわてているのだ。なにか緊急事態が起きたのに違いない。

「クライス・・・。何があったんだ!?」

「それはこっちのセリフです!!」

クライスは、怒鳴るように言った。眼鏡の奥から、射るような視線で俺をにらみつけている。

俺は気付いた。クライスは、度を失っているだけではない。明らかに、怒っている。

クライスは言いつのる。

「ルーウェンくん! 見損ないましたよ! あなたは昨晩、マルローネさんと何をしていたんですか!? 街中で噂になっていますよ!」

「あ・・・」

俺は思い出した。昨夜、ヘルミーナ先生から逃げた際、マリーと妙な状況に陥ってしまったことを。そして、夜間パトロール中のハレッシュに目撃され、完璧に誤解されてしまったことを。

ハレッシュのやつ、やっかみ半分で自警団の連中にぺらぺらしゃべったに違いない。狭い『職人通り』だ。噂はあっという間に広がる。おそらくクライスも、アカデミーから下宿へ戻る途中で、おかみさんたちの立ち話でも耳にしたのだろう。

「まったく、私は一晩中、研究室で文献に没頭して、手がかりを捜し求めていたというのに・・・。私の苦労も知らず、そんなふしだらな真似を・・・。許せません」

クライスは、俺の首を絞めんばかりの勢いだった。普段の怜悧なクライスからは想像もできないほど、熱くなっている。

「ちょっと待て、クライス」

俺はクライスを押しとどめた。

「落ち着け。順を追って説明するから、1刻、俺に時間をくれ。それで納得できなければ、煮るなり焼くなり、好きにしてくれればいい」

クライスを椅子に座らせ、俺はお茶をいれるために湯を沸かした。気分を落ち着かせるには、お茶がいちばんだ。ハーブティを飲ませ、ようやくクライスが聞く耳を持つまでに落ち着いたところで、昨夜の顛末を話して聞かせる。

じっと耳を傾けていたクライスは、納得してくれたようだった。眼鏡の位置を直し、ひとつため息をつく。その表情には、ほっとしたような様子も感じられた。

「なるほど、そういうことだったのですね。私も、大方そんなことなのではないかと思っていたのですが・・・」

おいおい、だったらさっきまでの態度や言い草は何だったんだよ。そう言ってやりたかったが、俺はもう少し言葉を選ぶことにした。

「ふうん。それにしちゃあ、さっきはずいぶんとムキになってたみたいだったけどな」

「いえ、それは・・・」

クライスはいつもより早口になって、

「あなたの身が心配だったからですよ。マルローネさんのような人に、必要以上に近付きすぎると、大けがをすることになりかねませんからね。いや、それ以上に、神経に異常をきたすことにもなりかねません。私は、友人として、あなたに忠告をしようと思っただけですよ」

あまり説得力のある説明にはなっていない。俺はそ知らぬ振りで言い返した。

「ふうん、そうか。でも、それにしちゃ、あんたも必要以上にマリーの工房に出入りしているみたいだけど・・・」

「誤解していただいては困ります」

クライスは神経質に眼鏡の位置を整える。

「私はただ、アカデミーの名誉のために、あの落第生をなんとか更生させようと思っているだけです。あのような人が、あのまま錬金術師として世の中へ出たりしたら、何をしでかすかわかりません。アカデミーの安寧を守り、ひいては私が学究生活を落ち着いて送れるようにするために、ない時間をわざわざ割いているのです」

「なるほどね。今の状態なら、確かに時間は節約できるな。なんせ、あんたの部屋からなら、夜中にマリーの寝室へ忍び込むのも自由だもんな」

「な、何てことを言うんですか!?」

クライスの頬が紅潮する。また頭に血が昇ったようだ。おそらく、さっきとは別の意味で。

「悪い悪い、冗談だよ。まあ、落ち着けって」

俺はお茶のお代わりをいれようと、ポットに手を伸ばす。 カップにお茶を注ぎながら、俺は思った。

確かにマリーは型破りな女性だ。クライスが言う通り、放っておいたら何をやらかすかわからない破天荒さというものがある。言い換えれば、それが彼女の最大の魅力でもあるのだが。そんなマリーが、俺は大好きだ。

しかし、俺がマリーに対して感じているのは、恋愛感情とは少し違うように思う。放っておけない大切な友人、とでもいうのが正直なところだろうか。

いや、それはもしかしたら、言い訳に過ぎないのかも知れない。本質は、俺の心のもっと深いところにある。

俺には、やらなければならない大切なことがある。その目的を達成するまでは、愛だの恋だのにうつつを抜かしている余裕はないのだ。探し物を発見するまでは。“あの人たち”を見つけ出し、もう一度、この腕に抱いて肌で感じるその日までは。

 

何杯もお茶をお代わりしながら、俺とクライスは、昨夜、俺が目撃した出来事について話し合った。

ヘルミーナ先生は、いったい森の中で何をしようとしていたのだろうか。

「私が思うに、彼女が森の空き地に描いていた円模様というのは、魔法陣でしょうね」

「魔法陣? 何だい、そりゃ」

「魔術ではよく使われる手法です。主に、なんらかの結界を張るのに利用されます。例えば、魔法陣を描いてその中に入ってしまえば、外側の人からは見えなくなるとか、攻撃を受けつけなくなるとか、ですね」

「へえ、なかなか便利なもんだな」

「しかし、それを使いこなすのは、かなり高度なレベルの術者に限られます。私自身、実践したことはありません」

ここまで話して、クライスはふと思いついたように、眉をひそめた。

「まさか・・・」

「どうした?」

いつになく真剣なクライスの表情に、俺は不安になる。

「以前に読んだ書物に書かれていたことを思い出しました。魔法陣には、もうひとつ別の用途があります。・・・それは、異界への門を開くことです」

「どういうことだい?」

「これは、黒魔術に属する秘儀だそうで、あまり詳しくは書かれていませんでしたが、この世界とは異なる場所に棲む存在を、召喚することができるそうです。例えば、恐るべき力を持った魔物とかを、ですね。呼び出された異界の存在は、召喚者の意に従いますが、一歩でも手順を間違えれば、悲惨な結果を招く、と記してありました」

「それじゃ、あの時、俺が感じた気配は・・・」

あらためてぞっとした。昨夜、森の中に隠れて、ヘルミーナ先生の秘儀を見ていた時、俺が感じたこの世のものとも思えない無気味な気配は、クライスの説明にあるような異界の魔物のものだったのだろうか。そして、俺とマリーが邪魔をしたために、その儀式は未完に終わったのだろうか。

「う〜ん、ますます怪しいな」

腕組みをして、クライスを見やる。

「どうする? イングリド先生に報告するかい」

クライスはあごに手を当て、考え込んだが、やがて首を横に振った。

「いや、今のところ、すべては推測に過ぎません。もっと明確な証拠を集めないと・・・」

「そうか・・・。そうだな」

気が付けば、時刻は昼近い。眠かったはずなのに、お茶を飲みすぎたせいか、すっかり目がさえてしまっている。

「それでは、行きましょうか」

クライスが席を立つ。

「え、どこへだ?」

我ながら間の抜けた返事だ。ドアに向かうクライスが振り向く。

「マルローネさんのところですよ。あの人も、短時間ながら現場にいたわけですからね。あまり期待は出来ませんが、話を聞けば、なにか新たな事実が出てくる可能性もないわけではありません。複数の証言を集めるというのは、事実関係を正しく構築するための鉄則ですよ」

「でも、マリーも朝帰りだったんだぜ。まだ寝てるんじゃないのか」

「だったら、たたき起こすまでです。どうやら、事態は切迫してきているようですからね」

先に立つクライスを追いかけながら、俺はふと思った。

なんだかんだ理屈をつけてはいるが、結局クライスの行動の中で優先順位が最も高いのは、マリーの顔を見るという、ただそれだけのことなんじゃないだろうか。

人を突き動かす原動力になるものというのは、突き詰めてみれば、案外単純なことなのだ。