ゆーら博物館〜アトリエ・俺屍ファンサイト〜

数日後。

久しぶりに、俺たちはザールブルグの外へ出かけた。

外といっても、遠くへ行く旅ではない。日帰りで帰って来られるところにある、ザールブルグ近郊の森だ。もちろん、マリーのアイテム採取の護衛である。

マリーが張りきって先頭に立ち、無言でクライスが続く。俺はしんがりで、周囲に気を配っている。ザールブルグのすぐ近くの森といえども、オオカミなどの危険な動物が巣食っているのだ。

なぜか最近、この3人で行動することが多くなっているのに、俺は気付く。俺はご近所だし、いつも暇にしているから、マリーの誘いは大歓迎だが、いつも憎まれ口を叩いているクライスが、文句を言いつつも必ず同行しているのが、不思議といえば不思議だ。マリーに言わせれば、「だってクライスは雇用費タダだもんね。節約節約」というだけのことらしいのだが。今日もクライスは、「嫌だったら、無理して来てくれなくてもいいのよ」と言うマリーに、「研究で忙しいのですが、時には気分転換も必要です。不本意ながら、同行しましょう」と言って、すたすたと外門へ向かったのだった。

「でもさ〜、何度も言うけど、大変だったのよ、補習」

マリーが、うんざりした口調で言う。

「イングリド先生も怖いけど、あのヘルミーナっていう先生には、別の怖さがあるのよね。なんていうか・・・そう、気味が悪いっていうのかしら。ちょっと、クライス、聞いてるの?」

「ああ、はいはい、聞いていますよ。確かに、あまり話したことはありませんが、独特の雰囲気を持った人ですね」

「実験室へ行って授業が始まって、いきなり渡された材料が、何だったと思う? 気持ちの悪いものばっかりだったのよ。ええと、『コウモリの羽根』に『ヘビの抜け殻』でしょ。『オオカミの牙』とか『火トカゲのベロ』とか。『ムカデの干物』とか『ナメクジのはらわた』とかさ」

「ちょっと待ってください。最後のふたつは違うでしょう」

「あ、わかっちゃった? えへへ、ちょっと大げさに言っちゃっただけよ」

「誇張と嘘は違います。そういうことばかり言っていると、人から信用されなくなってしまいますよ」

「ああ、そう。クライスも、あんまり嫌味ばっかり言ってると、人から好かれない人間になっちゃいますよ〜だ」

「余計なお世話です。本当に、あなたという人は口が減らないですね。自分のことは棚に上げて・・・」

「おいおい、待てよ。話がずれちまってるぜ」

潮時と見て、俺が割りこむ。止めないでおくと、ふたりの舌戦はとめどもなくエスカレートしてしまうのだ。

「で、何者なんだい、その気味が悪い先生っていうのは」

俺の質問に、マリーは声をひそめ、大事な秘密をもらすような調子で答える。

「ほら、去年の夏の大事件、覚えてるでしょ? あの少し前に、修業の旅から帰って来て、そのままアカデミーに講師として居座っちゃったらしいのよ。なんでも、ザールブルグ・アカデミーの創立者のひとりで、イングリド先生とは幼なじみなんだって」

大事件というのは、俺も覚えている。エアフォルクの塔から無数の魔物が出現して、シグザール全土が危機にさらされたという事件だ。あの時は、世界が終わりになるかと思った。王室騎士隊とアカデミー、それから俺たち冒険者が一丸となって魔物と戦い、ようやく事件を終息させることができたのだ。

「へえ、それじゃ、かなりの実力者なんだろうな」

「確かに実力はあるかも知れないけど、何を考えているのかわからないわ。いつも妖しそうな笑みを浮かべてるしさ。他にも補習を受けていた生徒がいたけど、ひとりの男の子なんか、貧血起こして倒れちゃったのよ。あたしも、途中でトイレに行くふりして逃げちゃったけど」

「おいおい、逃げちゃっても構わないのかよ」

「だいじょぶじゃない? その後、何も言って来ないし。それに、あの先生、ついて来られる生徒だけついて来ればいいって感じだったし」

と、あっけらかんとマリーが言う。クライスは処置なし、というように肩をすくめ、

「で、結局、何を調合する実習だったのですか」

「ええとね、敵をマヒさせる薬とか、生命力を吸い取る薬とか・・・」

指を頬に当てて首をかしげ、空を見上げて思い出すようにしながら、マリーが答える。

「なんか、危なそうな実験ばかりだな」

「そうですね。とても留年生に対する教育カリキュラムとは思えません。まあ、マルローネさんがそのような危険なレシピを覚えなかっただけでも良しとしなければいけませんね」

「悪かったわね。・・・あ、そうだ。次の日には、もっとすごい実験をするとか言ってたわ」

「まさか、翌日も行ったのではないでしょうね」

「誰が行くもんですか、あんな気味の悪いところ。きっと、生徒はひとりも残ってないわよ」

言いかけたマリーが、ふと眉をひそめた。

「そういえば、もうひとり、女の子がいたわね。あの娘は、あんまり気味悪がっていなかったみたい・・・」

「ふうん」

「なんか、すごく物知りだったなあ。なんでこんなに知識のある生徒が留年するの、っていうくらい。『これは“エルフィンオオコウモリ”の雄の羽根ですね』とか『ピルツの森のシマヘビと黒の森のシマヘビは、ウロコの形が微妙に違うので区別できるんです』とか、楽しそうにしゃべってたよ」

ふと、マリーが口をつぐむ。俺とクライスも、耳をすませた。 森のざわめきを通して、なにかが聞こえてくる。

「何でしょう?」

「悲鳴・・・じゃなかった?」

「とにかく、行ってみよう」

俺は剣を抜くと、右手に構えた。クライスは杖を握り直し、マリーは爆弾を準備する。

臨戦体勢を整えた俺たちは、足を速めて森の奥へと向かった。

 

今度は、悲鳴がはっきりと聞こえた。

女性のかんだかい声ではない。苦痛に満ちた男の叫び声だ。

「こっちよ、早く!」

「気をつけろ、マリー!」

「待ってください、息が切れて・・・」

「もう! クライスはこういう時、全然使えないんだから!」

「はあ・・・はあ・・・、仕方が・・・ないでしょう。私は・・・冒険者では・・・ないんですから」

不意に、左前方の茂みが、がさがさと動いた。

そして、うめき声とともに、茂みを突き破るようにして、なにか大きなものが飛び出してきて、そのまま地面 に落ち、動かなくなった。

「きゃあ、何!?」

「人だ!」

マリーとクライスが駆け寄る。

俺は剣を手に、油断なく身構えて茂みの奥をうかがった。つい先ほどまでは、確かにこの森の向こうに怪しい気配を感じていたのだ。長年、冒険者として培ってきた勘が、確かにそう言っていた。しかし、今は森はしんとしており、危険な敵が潜んでいるような気配はない。何物ともわからない気配は、完全に消え去っていた。

「ルーウェン!」

マリーが呼ぶ声が聞こえた。

戻ってみると、倒れている人影にひざまずいているマリーとクライスが見えた。頭の方へ回りこんだ俺は、その時初めて、その男が誰か気付いた。

「親父さん、親父さん、しっかり!」

マリーの呼びかけにも、反応しようとしない。

それは、俺にとってもなじみの顔・・・『職人通り』の武器屋の親父だった。

あらためて、俺は頭のてっぺんから足の先まで、親父の様子を観察した。

親父は全身、傷だらけだった。

トレードマークの白いシャツは、びりびりに切り裂かれ、ほとんど原型をとどめていない。ズボンも同様だ。上半身、下半身、おなじみのツルツル頭に至るまで、細かなすり傷と刺し傷におおわれている。見たところ、深い傷はどこにもないようだが、顔といい肩といい胸といい、なにかに殴られたかのように腫れあがっている。

「親父さん!」

マリーが、気付薬代わりの『ガッシュの枝』を親父の鼻先に押しつける。親父は息を吸い込み、大きなくしゃみをした。

うっすらと目を開ける。だが、瞳はどんよりと濁っていた。

「親父さん、大丈夫!? マリーよ! わかる!?」

マリーの呼びかけにも、親父は気付いた様子はない。

一声うめくと、わなわなと口を震わせ、絞り出すように言葉が漏れてきた。

「化けものだ・・・。茶色の、化けものが・・・」

そして、がくりと首をたれ、親父は再び気を失った。

「とにかく、街に運ばなきゃ!」

「ああ、そうだな」

うなずいたものの、俺はため息をついた。このメンバーでは、力仕事をするのは俺の役割だ。しかも、親父は上背こそそうないが、がっしりした体つきをしている。気を失った人間の身体をかついで運ぶのがどれほど大変かは、経験した者でないとわからないだろう。しかし、この際、仕方がない。

「クライス、あんたも手伝って、肩を支えてくれ。マリー、先に街へ戻って、人を呼んで来るんだ。自警団でも騎士隊でも、誰でもいい。俺たちだけじゃ、そう遠くまで運べないだろう」

「うん、わかった!」

さっそくマリーは駆け出していった。“火の玉マリー”の異名を取るだけあって、さすがに走るのは速い。

俺はクライスに手伝わせて、ぐにゃりと力の抜けた武器屋の親父の身体を支え、のろのろと歩き出した。

体力を使い果たし、気が遠くなりかけた頃、マリーの案内で自警団員が駆けつけ、ようやく俺は、文字通り、肩の荷を下ろすことができた。

親父はフローベル教会に担ぎこまれた。全身の傷は浅く、幸いなことに命に別状はないとのことだった。

事件は王室騎士隊の耳にも入り、俺たちは第一発見者として事情聴取を受けたが、話すべきことはあまりなかった。

それが、事件の始まりだった。この後、否応なく事件の渦中に引きずり込まれていくことになるのだが、それをまだ俺たちは知らなかった。