ゆーら博物館〜アトリエ・俺屍ファンサイト〜

翌日の夕方。

俺はマリーの工房にいた。依頼の納期が間に合わないと言って、1日中工房にこもっていたマリーに、その日に酒場で集めてきた情報を伝えていたのだ。クライスも、今日はアカデミーの研究室に詰めており、実験が終わり次第合流することになっている。クライスが来てから話すつもりだったが、マリーがせっつくので、先に話すことにしたのだった。

冷やしたミスティカティをすすりながら、俺は話し始めた。もちろんミスティカティは、マリーではなく、工房の手伝いをしている妖精に作ってもらったものだ。腹をこわすのはごめんだからな。

「武器屋の親父さんは、まだ意識を回復していないらしい。付き添っていたシスターの話だと、一晩中うなされていたそうだ。『茶色い化け物が追いかけてくる』と何度もうわごとを言って・・・」

「“茶色い化け物”かあ・・・。いったい何だろう? オオカミかな?」

「いや、それは違うだろう。親父さんだって、昔はいっぱしの冒険者だったんだ。相手がオオカミ程度なら、あんなに手ひどくやられるわけはないさ。それに、あんたも見たろう、あの傷は動物にかまれてできたものじゃない」

「それより、親父さんは、あんな森の中で何をしてたのかな?」

「うん。あの後、自警団が現場近くを調べたところ、板で作った手製の的と、『うに』の山が見つかったそうだ」

「え? それって・・・?」

「どうやら親父さんは、ひとりでこっそり“うに投げ”の練習をしていたらしい」

「“うに投げ”? 何それ?」

「なんだ、知らないのか」

「うん」

「マリーも、魔物と戦う時に、『うに』を投げつけることがあるだろう」

「うん。でも、あんまり効果はないんだよね。それより、爆弾で吹っ飛ばす方が簡単だよ。気持ちいいし」

「まあ、ともかくだ、それを応用して競技にしたのが“うに投げ”なんだ。遠く離れた的に向かって『うに』を投げつけて、どれだけ狙いが正確だったかで勝負が決まる。来月開かれる『職人通り』の運動会で、新種目として採用されることになっている」

「ああ、そういえばこの前、武器屋へ行った時に親父さんが言ってたよ。『今度の運動会の新種目は、絶対に俺様が優勝してやるからな』って、張り切ってたっけ。それだったんだ」

「結局、こういうことだ。親父さんは、ひそかに“うに投げ”の腕を磨こうと、近くの森まで練習に出かけていった。あの辺にはいくらでも『うに』が落ちてるからな。それで、練習している最中に、何物かに襲われた。そこに俺たちが行き合わせたってわけだ」

俺は言葉を切った。マリーが自分の手のひらを見つめ、ため息をつく。

「ふう。でも、肝心なことは何もわかってないわけね」

「その通り。親父さんを襲った怪物については、まったく手がかりがないんだ。ともかく、騎士隊や自警団は、あの森の周辺のパトロールを強化するらしいけれどな」

「ああん! なんか、すっきりしないなあ!」

マリーは立ち上がると、腕をぶんぶん振り回しながら工房を歩き回り始めた。

俺は黙って、残りのお茶を飲み干す。

工房のドアがノックされたのは、その時だった。

 

「は〜い、どなた?」

マリーが返事をするのと同時に、ドアが開けられ、来客が姿を現わした。

「ひ・・・。イングリド先生」

マリーが悲鳴に近い声をあげる。

「あら、ちゃんと起きていたのね。この時間なら、さすがに夜型人間のあなたも起きているだろうと思ったのだけれど」

つかつかと入ってきたイングリド先生は、左右の色が異なる瞳でマリーを見つめた。マリーはローブをひるがえして作業台の陰に逃げこむ。

「先生、ごめんなさいごめんなさい! 悪気があったわけじゃないんですぅ」

ぺこぺこと頭を下げるマリーに、イングリド先生は眉をひそめた。

「何を謝っているの、マルローネ?」

「へ?」

うるんだ目を上げて、マリーが恐る恐る師匠に尋ねる。

「じゃあ、あたしが補習をサボったのを怒りに来たんじゃないんですか?」

「あら、あなた、補習をサボったの? 初耳だわ」

イングリド先生の口元に、意味ありげな笑みが浮かぶ。しまった、余計なことを言っちゃった!・・・と、ぎくりとするマリーの心のうちが、表情から手に取るようにわかる。身を固くするマリーに、イングリド先生は微笑んだ。

「ほほほほほ、構わないわ。ヘルミーナの授業では、逃げ出したくならない方がおかしいものね」

そう言って、イングリド先生は表情を引き締めた。

「今日訪ねたのは、あなたに頼みたいことがあったからなのだけれど」

「あ、はい、依頼ですか? 何なりとどうぞ」

怒られないとわかったマリーは、にわかに元気付いて、イングリド先生に椅子を勧め、妖精のピッコロにお茶の追加を命じた。

俺は、席を外そうかと腰を浮かせた。だが、イングリド先生は身振りで押し止め、言った。

「あなたも、噂になっている近くの森での事件の第一発見者ですね。よかったら、一緒に聞いてちょうだい」

「はあ? イングリド先生の依頼って、あの事件に関することですか?」

マリーが目を丸くする。

「実は、そうなの。これから話すことは、決して口外しないと約束してちょうだい」

そして、イングリド先生は声をひそめて話し始めた。

 

「わたくしたちアカデミーの上層部は、ザールブルグ近辺で起こる怪しい事件には、すべて目を光らせています。これは、ケントニス元老院の基本方針でもあり、錬金術の倫理規範にも関わることだからです」

言葉を切り、あらためてマリーを見やる。

「マルローネ、あなたも知っての通り、錬金術は無から有を創り出す学問。当然、その内容によっては、世の中に災いをもたらす危険な研究もあります。つまり、悪用しようと思えばいくらでも悪用できてしまうのが、錬金術なのです」

「はい・・・」

マリーはしおらしくうなずいた。確かに、言われてみれば、マリーが得意としている爆弾なども、使い方を誤れば、世の中を破壊してしまいかねない危険を秘めている。

「従って、錬金術が悪用されている兆候があれば、その真相を明らかにし、それを止めるのもアカデミーの重要な役目なのです」

「じゃあ、イングリド先生は、今回の事件に錬金術がからんでいるとおっしゃるんですか!?」

マリーが大声をあげ、あわてて口をおさえた。イングリド先生は首を横に振る。

「わかりません。錬金術がからんでいるという証拠はありません。しかし同時に、シロだという証拠もありません。このような場合、はっきりした証拠がない以上、疑ってかからなくてはならないのです」

いったん言葉を切り、考えをめぐらすようにして続ける。

「通常なら、このような調査は、選抜されたアカデミースタッフが行います。しかし、今回はわたくしがドルニエ校長に進言して、別のやり方で調べることにしました。なぜなら・・・」

ここで、口調がややためらいがちなものに変わった。

「わたくしは、アカデミー内部の人間が関わっているのではないかと、個人的に疑いを持っているからです」

「ええっ!?」

「何だって!?」

俺もマリーも、びっくりしてイングリド先生を見つめた。

イングリド先生は淡々とした口調で続ける。

「まず、事実だけを話すことにしましょう。マルローネ、あなたはヘルミーナを知っているわね」

「は、はい・・・。ちょっとだけ、補習を受けましたから」

「あの補習は、中止になったわ。3日目の朝に、ヘルミーナが一方的に中止を宣言してしまったの」

「はあ・・・」

「それだけじゃないわ。同じ日に、ヘルミーナはアカデミーの営繕部に、地下実験室のドアを取りつけ直してほしいという依頼を出しているの。爆弾の実験に失敗して、破損してしまったという始末書を付けてね」

イングリド先生は肩をすくめた。

「マルローネじゃあるまいし、ヘルミーナが爆弾の実験で失敗するなんて、信じられないわ。というより、ヘルミーナが作るような爆弾だったら、失敗すれば実験室のドアどころかアカデミー全体が吹っ飛んでしまうはずよ。しかも、それ以降、彼女は講義はおざなりに済ませて、残りの時間は鍵をかけた地下実験室に閉じこもっているの」

「では、ヘルミーナ先生が怪しい・・・と?」

「さっきも言ったように、証拠はないの。でも、ヘルミーナは昔から怪しい実験や危ないアイテムをもてあそぶのが好きだった・・・。それこそ、錬金術の倫理規範が許容するぎりぎりのところでね。わたくしは、彼女がいつか一線を踏み越えてしまうのではないかと心配していたわ。もし今回の事件にヘルミーナが関わっているとしたら、それは彼女だけじゃない・・・錬金術を管理できなかった、アカデミー全体の責任になるのよ」

俺もマリーも、息をのんで聞き入っていた。薄水色の髪の毛をかきあげ、イングリド先生が続ける。

「もちろん、何の関係もないことが証明されれば、それに越したことはないわ。でも、事実がその逆だったら・・・」

マリーがごくりとつばを飲みこんだ。

「とにかく、わたくしは事を荒立てたくないの。王室騎士隊にも内密で、真相を突き止めたい。でも、わたくしが表立って動くわけにはいかないわ。わかるでしょう?」

マリーがきょとんとしてイングリド先生を見る。空色の目が大きく見開かれる。

「えええ!? まさか、あたしに調査しろって言うんですかあ!?」

「ほほほほほ、まさか」

イングリド先生の目元がわずかにほころんだ。

「わたくしも、あなたに調査を任せるほど無分別ではないわ」

「悪かったですね」

マリーはふくれたが、ほっとしたようにも見える。

「あなたに、誰か信頼できる冒険者を紹介してもらおうと思って・・・。酒場に頼んだりしたら、すぐに噂が広がってしまうでしょうからね。でも・・・」

と、イングリド先生が俺の方を向く。

「紹介してもらうまでもなかったようね」

「えっ、俺ですか?」

突然振られた俺は、思わずうわずった声を出してしまった。

「そうだわ、ルーウェンならぴったりよ。口は固いし、働き者だし」

マリーが嬉しそうに言う。なんだか、あまりほめられているような気がしない。

「お願いできるわね。もちろん、それなりのお礼はするわ」

にこやかにイングリド先生が言う。とても断れる雰囲気ではない。それに、俺も事件の謎は解きたいと思っていた。

「わかりました」

俺がうなずくのと、ノックとともにクライスがひょいと顔を覗かせたのと、ほぼ同時だった。

 

「あら、クライス。あなたがこんなところへ来るなんて、珍しいことね」

イングリド先生が意外そうに言う。

「そんなに珍しくもないけどな」

俺がひとりごとのように言う。イングリド先生は、それを聞きつけ、意味ありげにクライスに微笑んだ。

「まあ、そうだったの。クライスも隅に置けないわね、ほほほほ」

クライスはあわてた様子で眼鏡の位置を直すと、

「イングリド先生、誤解を招くような発言はやめてください。私は、別に・・・」

イングリド先生は、全部わかっていますよ、というような鷹揚な視線を向け、思いついたように続けた。

「そういえば、あなたも事件の第一発見者だったわね・・・。ちょうどいいわ、クライス。あなたも時間があれば、協力してくれない?」

「はあ? 何の事です?」

そんなわけで、俺とイングリド先生は、あらためて事情をクライスに説明した。マリーも口を挟もうとしたが、「あなたの話は脈絡がなくて、理解に苦しみます」というクライスの一言で、黙り込まされてしまう。

「なるほど・・・」

すべて聞き終わると、クライスはしばらく目を閉じて、考え込んでいた。

既に日は落ち、外は闇の帳が下りていた。工房の中は、途中でマリーが灯したランプの炎で照らされている。
クライスは目を開いた。その瞳と眼鏡のフレームが、ランプの炎を映して、オレンジ色にきらめく。

「本来ならば、研究に忙しい身でもありますので、お断りしたいところです。しかし、アカデミーの存亡に関わるということであれば、私の学究生活にも影響を与えかねません。お引き受けしましょう」

「ありがとう。それでは、お願いするわ。吉報を待っています」

と、イングリド先生は、俺とクライスを交互に見やった。そして、マリーに目を向け、ぴしゃりと言う。

「あなたは、余計なことをするんじゃありませんよ」

「そんな、ひどいです。あたしだって、何かの役に立てますよぉ」

マリーが情けない声を出す。イングリド先生は厳しい口調で、

「マルローネ、あなたにはもっと大切なことがあるでしょう。卒業試験はどうなっているの? アイテム図鑑はちゃんと埋まっているんでしょうね!?」

マリーはうつむいて、黙り込んでしまった。

 

イングリド先生が帰って行った後、俺とクライスは今後の行動を打ち合わせた。とにかくヘルミーナ先生の身辺を探ることが第一だ、と意見が一致する。

その間、マリーは口を挟むこともせず、じっとうつむいて、何事か考え込んでいるようだった。

クライスが、怪訝そうに見やる。

「マルローネさん?」

「ん? なあに?」

マリーが目を上げる。

「まさか、あなたは妙なことを考えているのではないでしょうね」

「ううん、別に」

「最初に言っておきます。イングリド先生もおっしゃっていましたが、あなたが関わりを持つと、事態はろくなことになりません。今回は、自重していただきますよ」

「うん、わかったよ」

その素直過ぎる口調が引っかかって、俺はマリーを見た。マリーの瞳は、何やらめらめらと燃えているように見えた。もっとも、ランプの灯が反射しただけかもしれないが。

(やれやれ、マリーのやつ、変なことを考えてなけりゃいいんだが・・・)

俺は心の中でつぶやいた。