ゆーら博物館〜アトリエ・俺屍ファンサイト〜

その日の昼過ぎ。

俺とクライス、それにマリーの3人は、アカデミーに向かって石畳の道を歩いていた。別に、示し合わせて一緒になったわけではない。

街の外で剣の練習でもしようと思って、部屋から出たところで、アカデミーの研究室に行こうとしているクライスと一緒になった。そして、下宿の玄関を出たところで、鼻歌交じりに歩いてきたマリーに出くわしたというわけだ。
寝足りたせいか、今のマリーは上機嫌だ。今朝の騒ぎのことなど、おくびにも出さない。もっとも、あんなことはしょっちゅうなので、いちいち覚えていられないのかも知れない。

マリーが大きく伸びをして、空を見上げる。

「あ〜、いい天気。やっぱり早起きするのは気持ちいいわね」

「何が早起きですか。もう正午を過ぎていますよ」

「あ、言葉の綾ってやつよ。細かいことは気にしない気にしない」

「あなたは気にしなさ過ぎです。だいたい、こうしてアカデミーまで移動する時間も、私にとっては大切な思索の時なのですよ。あなたのようなやかましい人に近くにいられては、何も考えることができません。いい迷惑です」

「もう、クライスったら、細かいんだから。にぎやかな方がいいわよ。ほら、よく言うじゃない、『3人寄ればかしましい』って」

「意味が違います。マルローネさんは、錬金術だけでなく国語の勉強もした方がいいようですね」

「余計なお世話よ。それに、あたしだってアカデミーへ行かなきゃならない理由があるんですからね」

「補習でも受けるんですか」

「違うわよ! アイテムが足りなくなったから、買って補充しておかないと。今日はたっぷり買いこむわよ〜」

と、マリーは俺の方を見てにっこり笑う。俺はわざとぶすっとした声で答える。

「荷物持ちもいるし・・・だろ?」

「そう! わかってるじゃない、ルーウェン」

俺は心の中でため息をついた。マリーに出会った時点で、こうなることは目に見えていた。だが、悪い気はしない。マリーの素直で嫌味のない性格のためなのか、それとも俺が単にお人よしだからなのか、それはわからないが。

「なるほど。食べていくために日銭を稼がねばならないわけですね」

クライスが冷ややかに言う。

「何よ、そんなことないわよ! 最初の頃はともかく、最近は妖精さんを何人も雇う余裕もできてるし、けっこう優雅な生活してるんだから」

 

やがて、アカデミーが見えてくる。ザールブルグでは王城の次に大きな建物だ。20年以上も前に、西の広大な海の向こうからやってきた錬金術師によって建設されたという。それ以来、シグザール王国には錬金術が普及し、多くの錬金術師が卒業生として送り出されてきた。普通は4年で卒業できるらしいが、中には成績が悪くて留年する生徒もいるという。そういえば、今朝会ったルイーゼもそうだ。そして、更に成績が悪いと、5年間の特別試験を課せられるらしい。そう、マリーのように。

言い忘れていたが、今は9月の初旬だ。アカデミーも、ちょうど新学期を迎えたところで、真新しい錬金術服にローブをまとった新入生が目立つ。希望に目を輝かせて新品の教科書を読んでいる女子生徒や、不安そうに掲示板の張り紙をながめている男子生徒。そんな生徒たちでごったがえすロビーを抜けていくと、アカデミーショップがある。ここでは錬金術の調合に使用するアイテムや器具、参考書などが売られている。

カウンターの向こうで、落ち着いたにこやかな笑みを浮かべて応対しているのは、ショップ店員のアウラさんだ。

「こんにちは、アウラさん」

マリーが声をかける。

「いらっしゃい、マリー。あら、クライスも一緒なのね」

アウラさんが微笑む。クライスは咳払いして、視線をそらす。

「たまたま時間と方向が一致してしまっただけです」

そんなクライスに、アウラさんは優しい目を向ける。このふたりが実の姉弟だということは、あまり知られていない。俺もマリーも、しばらく前に起きたアイテム盗難事件の時に、初めて知ったのだ。

あの時、ショップのアイテムが何者かに盗まれるという事件が頻発し、店員のアウラさんが疑われた。アウラさんの容疑を晴らすために俺たち3人は協力し、クライスの推理で真相が突き止められ、事件は解決したのだった。

「そういえば、あの猫は?」

マリーが聞く。それに答えるように、にゃあ、という鳴き声がして、カウンターの下から黒猫が現われる。久しぶりに見た俺は、その成長ぶりにびっくりした。あの事件の頃は、ほんの子猫だったのに、今や一人前の堂々たる体格になっている。アウラさんの膝に這い上がった猫は、気持ち良さそうに大きく伸びをすると、金色の瞳を細めて、もう一度、にゃあ、と鳴いた。

「あらあら、今日はヒメルはご機嫌みたいね」

アウラさんが言う。

「え? ヒメルって?」

「この猫の名前よ。生徒たちが面白がってつけちゃったの。夜の闇みたいに黒いし、意外とすばしっこいので、あの噂の怪盗の名前をもらって“デア・ヒメル”ってね」

“デア・ヒメル”というのは、昨年あたりからザールブルグの夜を騒がせている謎の怪盗のことだ。貴族の家ばかりを狙い、宝石や美術品を盗んでいく。現場に残す1枚のカード以外には痕跡を一切残さず、王室騎士隊の警戒をあざ笑うかのように犯行を繰り返し、未だに捕まっていない。

「ほらほら、おいで、ヒメル」

マリーが手を出して誘うと、黒猫はカウンターを乗り越えてマリーの手に頬をこすりつけた。なかなか人なつっこい猫だ。 マリーが抱き上げる。

「うわ〜、あったかい。寒い時は湯たんぽ代わりになるね」

「そういう発想しかできないのですか」

「何よ、くやしかったら、あんたも抱いてみなさいよ」

「論理をすりかえないでください」

いつもの舌戦が始まったところで、背後から声がかかった。

「あら、あなたがアカデミーに顔を出すなんて、珍しいことね、マルローネ」

 

マリーがぎくっとしたように振りかえる。

「げ・・・。イングリド先生」

立っていたのは、マリーの担任教師、イングリド先生だ。藤色の落ち着いた色調の錬金術服に白いローブをまとい、軽くウェーヴのかかった薄水色の髪を無造作に束ねて後ろに垂らしている。ケントニス人特有の左右の色が違う瞳で、マリーを見つめている。

「猫とじゃれている時間があるとは・・・。あなたもずいぶんと余裕が出てきたようね」

マリーは猫をアウラさんに返すと、直立不動の姿勢をとって答える。

「い、いえ、あたしはいつも一生懸命ですっ! はい」

「なんで声が上ずってるのかしら?」

「そ、そんなこと、ないですよ。あはは」

イングリド先生は、腕組みをして、口元に笑みを浮かべた。

「そう・・・。それは結構なことね。そんなに一生懸命、錬金術に取り組む覚悟でいるのなら、ちょうどいいわ、補習でも受けてみる?」

「へ? 補習?」

「そうよ。今年は少しばかり留年生が多かったものでね、実技に関する補習クラスを設けたのよ。ちょうどこれから、午後のクラスが始まるところだから、よかったらあなたも参加してみなさい」

「で、でも・・・」

マリーは口ごもった。

「あたし、これから工房へ戻って、依頼されたアイテムを調合しないと・・・。日銭を稼がなきゃならないので、大変なんですよ」

マリーが上目遣いで師を見やる。クライスがここぞとばかりに割りこんだ。

「おや、先ほど聞いた話と違いますね。マルローネさんはさっき、最近は余裕が出てきて、けっこう優雅な生活をしていると言っていませんでしたか?」

「クライス! あんた、何言ってるのよ! 記憶違いよ、記憶違い!」

だが、険しい光をたたえたイングリド先生の視線に出会うと、マリーの口調はしぼんだ。

「どうする? 補習受ける?」

イングリド先生の口調には、面白がっているような響きが混じっていた。

「はい、受けます・・・」

マリーはうつむき、蚊の鳴くような声で答える。イングリド先生は微笑んだ。

マリーは恨みがましい目つきでクライスをにらみ、続いて俺に視線を向けた。

「お願い、ルーウェン。今買ったアイテム、工房に持って帰っておいてくれない?」

「ああ、わかったぜ、まかしておけ」

しかし、ひとりが1回で運べる量ではない。マリーの買い物には、どうやら節度というものが欠けているようだ。もっとも、その思いきりの良さがマリーのいいところでもあるのだが。いずれにせよ、日差しの中、アカデミーと工房を2往復しなければならないことを考えて、ちょっとうんざりした気分になった。

「それじゃ、急ぎなさい。場所は地下実験室Aよ。講師には、わたくしの方から言っておくから」

イングリド先生は、そのまま背を向け、研究棟へ向かおうとする。きょとんとしてマリーが尋ねる。

「へ? 講師って、イングリド先生じゃないんですか?」

「そう、わたくしではないのよ」

「はああ、よかった」

「なにか言った!?」

「いえ、何も言ってません。空耳ですよ、空耳」

「でもね、ひとつ忠告しておくわ。取って食われないように注意することね」

「はあ?」

あんぐり口を開けたマリーに、イングリド先生は凄みのある微笑を浮かべてみせた。

「なにせ、講師はヘビ女なんですからね。ほほほほほ」