ロマージュは言葉を切り、ワインを口に含む。エリーとノルディスは、一心に聞き入っている。
「それでね・・・。毎年、冬の最後の夜になると、西の海辺に住んでいる千年亀のうち、もっとも大きな亀が地下水路を通ってヘーベル湖にやってきて、岸辺に卵を産むんですって。信じるか信じないかは勝手だって、この話をしてくれた漁師のおじさんは言っていたけれど・・・。そういえば、あの漁師さん、昔の英雄が遺した財宝を探し出すんだなんて、夢みたいなことを言っていたわね。・・・うふふ、あたしの知っているお話は、これでおしまい」
カウンターの反対側に陣取った楽団が、『さすらい雲』の演奏を始めた。
「それじゃあね、うふふ」
ロマージュは残ったワインを飲み干すと、席を立ち、ふたたび踊りの準備にかかる。
「冬の、最後の夜か・・・」
ノルディスがつぶやく。
「なんか、ロマンチックな話だったね」
ワインを飲んだわけではないが、エリーは少しぼうっとしている。今の話に酔ってしまったかのようだ。
「そういえば、この前も冬の最後の夜って話、出なかったっけ? たしか、アカデミーで、アイゼルと一緒だった時に」
エリーが思い出したように言う。
「そうだ、『湖光の結晶』の話だ! あれも、冬の終わる夜に、ヘーベル湖でごく稀に見つかるって、参考書に書いてあったんだよ」
ノルディスが、はたと手を打つ。
『湖光の結晶』とは、ヘーベル湖の水が自然に結晶化したものだという。非常に珍しいアイテムであり、身に付けた者には幸運をもたらすとも言われている。しかし、エリーたちも参考書で知っているだけで、実物を手に入れたことはない。
「さっきの話と、なにか関係があるのかなあ?」
「さあ・・・。偶然じゃないのかな。あ、でも・・・」
ノルディスの知的な茶色の瞳が光った。
「冬の終わる日といえば、もうすぐじゃないか! 実際にヘーベル湖へ行って、確かめてみればいいんだよ!」
「そうか・・・そうだね! それじゃ、アイゼルを誘って、3人で行こうよ!」
はしゃいだ声を上げたエリーだが、なにかを思い出したように表情が沈む。
「あ・・・だめだ。あたしは行けないよ。ハレッシュさんに解毒剤を頼まれてて、期限がもうすぐだし・・・」
「そうか・・・」
ノルディスの表情もかげる。だが、エリーはすぐに明るい声に戻る。
「いいよ、ノルディスはアイゼルと行っておいでよ。ダグラスか、ルーウェンさんにでも一緒に行ってもらえばいいし」
その時、ひと踊りを終えたロマージュが戻ってきた。
「面白そうね。その話、あたしも付き合うわ。うふふ、あの話が本当かどうか確かめたいし。乗りかかった船ですものね、うふふふ」
◆Episode−3
そんなわけで。
今、ノルディスとアイゼルは、ヘーベル湖の岸辺の丈高い草むらに身を潜ませ、息を殺して真夜中の訪れを待っている。
空には満月が中天にかかり、冴え冴えとした青白い月光をふたりに注いでいる。あたりの空気は冷たく澄みわたり、ゆっくりと吐く息が白い靄となってたちのぼる。幸いなことに、風はほとんどなく、錬金術服にマントを巻き付けていれば、凍えてしまうほどではない。
この付近だけは、ヘーベル湖の岸としては珍しく、砂地になっているのだ。もしロマージュの話の通り、千年亀が産卵に現われるとすれば、このあたりだろう。
当のロマージュは、一緒にやって来たのだが、
「寒いのは苦手なのよ・・・」
と、少し離れた場所でたき火にあたっている。もちろん、ここからはその火は見えない。
アイゼルも、こんな寒い晩にこのような場所にいるのは不満だらけのはずだが、ノルディスにぴったり寄り添っているためか、文句ひとつ言わない。
「そろそろ真夜中だよ」
ノルディスがアイゼルの耳に口を寄せてささやく。
「ええ、本当に、なにか起きるのかしら」
アイゼルの言葉が終わるか終わらないかのうちに・・・。
ふたりが見つめる湖面が、ゆらりと動いた。水面が泡立ち、盛り上がり、なにかが浮かび上がってくる。
「!」
ノルディスが息をのみ、アイゼルがノルディスのマントをすがるようにつかむ。
水を切り、節くれだった岩の塊のようなものが、ゆっくりと岸辺の砂地に近づいてくる。そして、ふたりが身動きひとつせず見守る中・・・。
両手で抱えきれないほどの大きさの甲羅を持つ黒褐色の動物が、不器用に、しかし着実に這い上がってきた。