第4章 ケントニスの夜明け
「見えてきたよ! あれがエル・バドールだ!」
ユーリカの叫びに、アイゼルが船室から飛び出す。水平線に盛り上がった緑色の大地が、見る見る近付いてくる。
「あれが・・・エル・バドール」
「やれやれ、やっと着きましたね。これでようやく、落ち着いて研究に戻れるというものです」
目を輝かせるアイゼルの傍らで、クライスがほっとしたように言う。
カスターニェを出発して、19日目の朝だ。
アイゼルと、ケントニスのアカデミーに帰るというクライスを一緒に乗せて、ユーリカの快速船は、快調に飛ばした。それなりの長旅だったが、クライスと錬金術の議論を毎日のように戦わせていたおかげで、退屈することもなかった。当初は軽くあしらうような態度だったクライスも、日が経つにつれてアイゼルの実力を認めはじめたようで、「久しぶりに、淑女との知的な会話ができましたよ」というセリフまで出るようになっていた。
しかし、船室のベッドで一人になると、毎夜アイゼルは自問を繰り返していた。
(わたしの夢って、何なんだろう・・・)
とはいえ、ようやく旅の目的地、エル・バドールへ到着したのだ。
(まずは、ヘルミーナ先生が学んだ、ケントニスのアカデミーへ行ってみよう。きっと、エリーが何をしたか、教えてくれる人がいるだろう)
とにかく、なんらかの行動ができることが嬉しかった。
そんなアイゼルの思いを乗せ、ユーリカの船は、昼過ぎにケントニスの港にすべり込んだ。
「じゃあね。あたしは明日の朝、発つことにするよ。あんたはしばらくここにいるんだろ? カスターニェに戻ることがあったら、寄っておくれよ」
港での別れ際、ユーリカは笑いながら、たくましい手でアイゼルの背中をどん、と叩いた。
クライスは、アカデミーへ通じる坂道を、ずんずん登って行く。アイゼルは遅れないように、息を切らせてついて行く。
街外れの丘の中腹に建つケントニス・アカデミーは、ザールブルグのそれよりも遥かに長い歴史を持っている。それだけに、建物も古ぼけているが、なんとも言えない重々しい威厳のようなものが伝わってくる。
「あら、随分と早いお帰りじゃない。約束のものは、ちゃんと採取できたのかしら」
先に立ってアカデミーの門を入ったクライスに、中庭で声をかけたのは、金髪を束ね、丸い髪飾りを付けた錬金術師姿の女性だった。手には三日月を模したような不思議な形の杖を持ち、空色の瞳には、いたずらっぽい笑みが絶えない。
「当然でしょう。わたしに不可能はないのですから」
と、クライスはかごから絶滅寸前の実を得意げに出して見せる。
相手は実を手に取り、
「ふうん、どうやら本物みたいね。でも、あなたが自分自身で採取してきたという証拠はないわけよね、クライス?」
「し、失礼な。・・・そうだ、証人がちゃんといますよ」
クライスはアイゼルを振り向き、
「さ、アイゼルさん、証言してください。この実は、わたしが自分の手でかごに入れたものだということを、マルローネさんに言ってあげてください」
アイゼルはちょっと考え込んだが、にっこり笑って答えた。
「そうね。確かに、クライスさんは自分の手でかごに入れました。間違いなくてよ」
ただ、その実がユーリカから受け取ったものだということは、言わない方がいいだろう。少なくとも、クライスは嘘を言ってはいない。
マルローネは、いぶかしげにアイゼルを見やる。
「ね、ねえクライス、こちらは?」
「あ、忘れていました。紹介しましょう。アイゼルさんは、わたしたちの後輩ですよ」
「ええっ、ほんとに!? じゃあ、ザールブルグのアカデミーから来たんだ。大変だったでしょう」
と、マルローネはアイゼルの両手を握り、ぶんぶんと振りまわす。アイゼルは相手のおおげさな反応にあっけにとられたが、手を放すと貴族風に優雅に一礼した。
「はじめまして。アイゼル・ワイマールといいます。あの、わたし、エルフィールの・・・友人です」
「ええっ、そうなんだ。ますますびっくりだよ。エルフィールってば、元気?」
はしゃいだ声を上げるマルローネに、アイゼルは眉をひそめる。どうも、このマルローネという人は、今まで噂で聞いていたイメージと違う。本当に、この人がエリーの命の恩人で、エリーが目標にしている錬金術師なのだろうか。
そんなアイゼルの心の内に気付いたのか気付かないのか、マルローネはアイゼルの手を引き、建物の入口へ向かう。
「とにかく、アカデミーの中を案内するよ。またね、クライス」
アカデミーの作り自体は、ケントニスもザールブルグも、そう違うものではない。正面玄関を入るとロビーがあり、三方の壁には研究棟や図書室、寮棟などに通じるドアがある。
ここケントニスでは学生の絶対数が少ないのか、ロビーに人影はまばらだ。玄関を入ってすぐ右側には、ショップのカウンターがある。アイゼルとマルローネが通り過ぎようとすると、カウンターから声がかかった。
「あの、もしもし?」
「あら、イクシー、何か用?」
マルローネが答える。
アカデミーの司書とショップ店員を兼ねるイクシーは、常に落ち着いた態度を崩さない。
「もしや、お連れの人は、ザールブルグから来たアイゼル・ワイマールさんではないですか?」
「うん、そうだけど、どうして?」
「ザールブルグから、手紙が届いています」
アイゼルがはっと顔を上げ、目を輝かせた。まさか、ノルディスから・・・。
「はい、これです。受け取りにサインしてください」
サインするのももどかしく、手紙を受け取る。封にはアカデミーの印章が押されているが、これだけでは差出人が誰かはわからない。