翌早朝。
アイゼルは、久しぶりにわくわくした気分で、カスターニェ港の桟橋へ出向いた。
ユーリカの船は、カタパルトを備えた小型の高速船で、持ち主に似て元気が良く、頼りになりそうに見える。アイゼルが甲板に上がると、船首に立って沖合いを見つめていた錬金術服の男が振り返った。長身だが、ユーリカと対照的に肌の色は白く、やせていて、いかにも学究の徒という印象だ。銀縁眼鏡の奥から、皮肉な色をたたえた目で、値踏みするようにアイゼルを観察している。いささか居心地が悪くなったアイゼルだが、負けじと相手をにらみ返す。
先に相手の方が口を開いた。
「なるほど。あなたですか、一緒に来たいという錬金術師は。・・・ふ、なかなかいい目をしていますね。同行を認めましょう。あ、わたしはクライス。それから、断っておきますが、必要な時以外は話し掛けないでください。思索の邪魔になりますからね」
言いたいことだけ言うと、アイゼルの返事も待たず、船室へ入ってしまった。
「な・・・何なのよ、あの人。いったい、何様のつもりなのかしら。あんまりの言い方だと思わない?」
アイゼルは、腹立ちまぎれに、帆を揚げる準備をしているユーリカに話しかける。ユーリカは、ロープを結びながら平然と、
「ああ、気にしない気にしない。錬金術師って、みんなどこか変ってるんだから・・・あ、ごめん、気に障ったかい?」
「もういいわ。それにしても、ケントニスの人って、みんなあんな感じなのかしら」
「あの人はケントニスの人じゃないよ。ケントニスの人は、左右の目の色が違うんだから」
「そう言えば・・・」
アイゼルは、ヘルミーナやイングリドの目を思い出した。
「さあ、船出だよ。風向きもいいし、ミケネー島まで、2日あれば十分だ」
「ね、ねえ、ユーリカ」
と、アイゼルは昨夜来、疑問に思っていたことを口に出した。
「みんな言っていたけど、今は漁に絶好の季節なんでしょ。それなのに、何で・・・」
「ああ、そのことかい」
と、ユーリカは白い歯を見せて笑った。
「あたし、錬金術師には大きな借りがあるからね。できることは、何でもしてあげたいのさ」
「も、もしかしたら、その錬金術師って・・・」
「おっと、早く出港しないと、風を逃しちまう。続きは、後にしてくれないか」
広げられた帆は大きく風をはらみ、船はスピードを上げながら、カスターニェの港を出て行く。
ミケネー島の昼下がり。
砂浜では流木が燃やされ、その周囲には、ユーリカが釣り上げた魚が串に刺され、何匹も煙を上げている。油が砂にしたたり、香ばしい匂いがあたりに漂っている。
アイゼルは、よく焼けた魚をひと串取ると、水筒を持って近くのヤシの葉陰に向かう。そこでなら、強烈な日差しが少しは避けられるのだ。アイゼルはヤシの幹にもたれて腰を下ろすと、マントにくるまって横になっているクライスを見下ろす。
「いかが、体調は? 島へ着いたとたんに貧血を起こすなんて、さすがはマイスターランク首席だけのことはあるわね」
クライスは身じろぎすると、青白い顔のまま、まぶしそうに目を開く。
「うるさいですね。瞑想の邪魔をしないでください」
「あら、それは失礼したわね。じゃ、お食事もお水も必要ないってことね。わたしとユーリカで、全部いただくことにしようかしら」
「ま、待ちなさい。天才にも、食事は必要です。こんな野蛮なものは食事とは言えませんが、他に選択の余地がないのですから、がまんすることにしましょう」
いささかあわてたような口調で、クライスは半身を起こすと、アイゼルから魚の串焼きを受け取った。
クライスは、食べながらぶつぶつとつぶやいている。
「・・・まったく、これだから、こんな所には来たくなかったんですよ。それを、あの問題児があんなことを言うから・・・」
その様子を、アイゼルは面白そうに見ている。ザールブルグ・アカデミーのマイスターランクで首席だったというクライスは、少し話をするうちに、最初に感じていた冷たい印象は薄れ、ただの不器用な優等生というイメージに落ち着いていた。
「お〜い、見つけたよ」
という声と共に、傍らの繁みからユーリカが姿を現わす。片手に持った枝には、赤ん坊の握りこぶしほどの大きさをした青紫色の実がいくつか付いている。
「ほんとにあきれたね。絶滅寸前の実が、どんな形と色をしているかも知らないで、採取に来たなんてさ。ほら、大事にするんだよ」
ユーリカは、実をクライスに手渡す。受け取ったクライスは、ぎこちない手付きで自分の採取かごにそれを収める。
「し、仕方がないでしょう。文献をひもとく時間もなく、やって来たんですから。・・・それにしても、早かったですね。一応、お礼を言っておきます」
そんなクライスをじっと見て、アイゼルが言う。
「ひょっとしてクライスさん、こんな遠くへ採取に来るの、初めてだったのではないこと?」
ぎくりとするクライス。だが、片手で眼鏡の位置を直すと、
「わたしのような優秀な人間は、実験室で研究を続けるのに手一杯なんです。なのに、ちょっとした賭けに負けましてね。絶滅寸前の実を手に入れてくるというのは、その罰ゲームというわけです。まったく、わたしともあろうものが・・・」
「賭けって、どんな?」
「エリキシル剤の調合です。まさかわたしが負けるはずはないと思っていたのですが、品質、効力ともに、マルローネが調合した方が優っていたなんて・・・」
クライスは肩をすくめる。
アイゼルは、はっとした。その名前には、聞き覚えがある。たしか、エリーがよく話していた、エリーの命を救ってくれたという錬金術師の名前ではないか。エリーは、マルローネのようになるために、錬金術師になることを志したのだという。
「あ、あの、マルローネって・・・」
「ほう。あなたもザールブルグ・アカデミーの出身なら、耳にしたことがあるかも知れませんね。まったく、とんでもない女性ですよ。アカデミー始まって以来の劣等生と言われながら、追試験の期間中に竜は倒すわ、賢者の石まで調合してしまうわ・・・。今は、ケントニスのアカデミーで、「錬金術とは何か」というとんでもない命題に取り組んでいるのですからね」
「錬金術って、金を作り出すことが目的ではないの?」
いぶかるアイゼル。クライスはうなずき、
「わたしも、最初はそう思っていました。しかし、マルローネと話していると、どうもそれだけではないという気もしてくるのです。まあ、今のわたしの最大の研究テーマは、あのマルローネがなぜここまで成長したのか。そしてこれから先、どこへ行こうとしているのか、ということになりますね」
この時、クライスの目から皮肉な色が消え、優しさすら感じる眼差しになったことに、アイゼルは気付いた。
「ふうん、いいね。そうやって、追いかけて行ける目的があってさ」
ユーリカが口をはさむ。
「ね、ところで、アイゼルの夢って、何なの?」
「え? わ、わたしの夢・・・?」
不意を打たれて、アイゼルが口ごもる。混乱した心の中で、アイゼルは自問自答する。
(わたしの夢・・・。それは、ノルディスと一緒にいること・・・いえ、それは、もう消えてしまった。じゃあ、エリーに勝つこと? ううん、そんなのは、夢とは言えない。今のわたしには、夢はあるのだろうか)
「そ、そんなことより、ユーリカの夢を聞かせてくださらない?」
時間稼ぎのつもりでアイゼルが言う。
ユーリカは、遠く水平線を見つめて、
「あたしは、今、新しい夢を探してるところさ。ついこの間までは、父さんが追い求めていた夢、英雄ヴァルフィッシュの財宝を見つけ出すっていう夢があったんだけどね。結局、それは見つからなかった。でも、後悔はしてないよ。あたしの夢を絵空事だとばかにせずに、一緒になって探してくれた友達がいたからね。あんたと同じ錬金術師さ」
「その錬金術師って、もしかして、エリーのこと?」
「へえ、知り合いなのかい? 元気かな、彼女・・・ふふふ、元気じゃないわけないよね。いつも輝いていたもの」
「エリーが、輝いていた・・・?」
「そう。絶対に、命の恩人に会うんだって・・・。それで、とうとう、あの海竜フラウ・シュトライトまで倒しちまったんだからね。大きな夢を持ってる人間には、誰もかなわないよ」
「そう・・・」
アイゼルは、目を伏せて考える。自分はこれまで、それほど大きな夢を持って生きてきただろうか。
ユーリカの声が、遠くから聞こえる。
「アイゼルの夢も、早くかなうといいね。あたしも、少しでもその手伝いができるんだから、嬉しいよ」
はっとして、アイゼルは顔を上げる。ユーリカは、満面の笑みを浮かべて、
「だって、エル・バドールに行くことが、あんたの夢の第一歩なんだろ? 詳しい事情はわからないけどさ」
「そ、そうね・・・。あ、ありがとう、ユーリカ」
いつになく、素直に答えるアイゼル。
「さてと・・・それじゃ、目的のものも手に入ったし、カスターニェに帰るとしようか。着いたらすぐ、ケントニスに向かう準備にかかるからね」
ユーリカは、たき火に砂をかけて消し、帰り支度にかかる。クライスは、ふらつきながらも自力で立ち上がり、もったいぶってマントの砂を払うと、船に向かって歩き出す。
アイゼルはその後を追ったが、心の中では、ひとつの言葉を繰り返していた。
(わたしの・・・夢・・・?)