「...。もう一度、やってみます。シアが待っていますから。あの、先生、もう一つだけお聞きしていいですか?」
「わたくしに答えられることならね」
「アカデミーにあるエリキシル剤はなぜ高いんですか? シアの家でも買えないほど」
イングリド先生は困った顔をした。
「それは、あの薬があまりにも強力だからなのです。もしあの薬が簡単に手に入るようなものだったら、誰もが欲しがるでしょう。そうすると、本来の人の生と死のバランスが崩れてしまいます。そうして不自然に人が生き残っていると、自然はそのバランスを取り戻そうとするものです」
マルローネはしばし首をかしげたが、ふと顔を上げて言った。
「ひょっとして、大災害かなんかが起きるんですか?」
イングリドは目を細めて答えた。
「そういうこともあるということです。だいぶ、わかってきたようね。...第一、みんなが欲しがっても作るほうが追いつきませんしね」
「じゃあ、本当はシアも放っておかなくちゃいけないんですか?」
師の顔を見つめ、訴えかけるようにマルローネは訊ねた。
イングリドは、首を横に振った。
「アカデミーで一般に販売するわけにはいかない、というだけのことです。友達を助けるために、個人的に作ることを止める法はありませんよ」
マルローネがイングリド先生の研究室を出るまぎわに、先生は言った。
「くよくよ悩むなんてあなたらしくないですよ、マルローネ。わたくしが教えていたときに、何度叱られてもへこたれなかったことを思い出しなさい」
「はいっ!」
元気よく部屋を飛び出していったマルローネを見送りながら、イングリド先生は、あの子はこれを乗り越えればきっと大きく成長するに違いない、という嬉しい確信を抱いていた。
***
3日後、工房にやってきたクライスは、マルローネがすっかり元気を取り戻しているのに内心ほっとしたが、それを表には出さず、ただ「気持ち悪いですね。何をにやにやしているんですか」とだけ言った。
「何だっていいでしょ。さ、エリキシル剤を作るわよ!」
マルローネは前と同じように、出来る限り精密に作業した。
しかし前と違うところがあった。
作業に気を取られてはいけない。一番大事なのは、奇跡を求め、祈る心。この薬でシアを治したいと願う心。マルローネの心は、今は完全にその想いで満たされていた。
***
ある朝、全ての作業が終わった。青く輝く、素晴らしい香りの水薬が小瓶に詰められた。
念のため、ねずみ取りにかかっていたねずみに薬を一滴飲ませてみたが、傷がたちまち癒えただけでなく、毛ヅヤまで素晴らしくよくなった。
「どうやら大丈夫なようですね。少なくとも毒薬ではありません」
こう言ったクライスを、マルローネは軽く睨んだ。
「毒薬なわけないでしょ。これはエリキシル剤よ...正真正銘のエリキシル剤よ」
二人の顔は、満足に輝いていた。
できたてのエリキシル剤は、さっそくシアの元に届けられた。
「さあ、飲んでみて。毒薬じゃないことは保証するわ」
シアは薬の封を切った。
「いい香りね...。飲んでみるわね。...」
マルローネも、クライスも、固唾をのんで見守った。
シアは薬を飲み干し、大きく息をついた。
「何だか、身体が軽くなったような気がするわ。...マリー、クライスさん、ありがとう。わたし、ふたりがわたしのために頑張ってくれたというだけでどんなに嬉しかったか...」
感極まって涙を浮かべるシアに、答えるマルローネの眼にも光るものがあった。
「何言ってるの。シア、あんたは治るのよ。また元気になるに決まってるじゃないの!」
クライスまでも、急に眼鏡が曇ったようだった。
「そうです。アカデミー首席の私が手を貸していたのですからね。失敗などあり得ません!」
「それじゃなんで最初は失敗したのかしらね、首席のクライス大先生?」
マルローネはここぞとばかりにからかったが、クライスにあっさりと反撃された。
「決まっているでしょう。あなたが足を引っ張ったからですよ」
「何ですって!」
「もぅ、また喧嘩なの?」
見慣れた喧嘩が戻ってきて、シアがくすくすと笑い出した。
釣られてマルローネも笑い、クライスも、皮肉になりかけながらもそうはならない微笑を浮かべたのだった。
シアは回復した。念のため、医師の許しが出るまではそのまま寝ていることになるが、それも大して長い時間にはならないだろう。
朝早くに薬を届けたので、ふたりがシアの家を出たときは、まだ少し涼しかった。
「本当に、薬が効いてよかったわ。ねえクライス、錬金術って肝心な所では知識や技術じゃなくて心が大事なのね。あたし、今回のことでそれがよく分かったわ」
マルローネは機嫌よくクライスに話しかけた。
「そうですね。重要なのは精神力だ、ということは私も認めましょう。しかしあなたの場合は、もう少し知識や技術の向上に重きを置いた方がよろしいと思いますけれどね」
言われてマルローネは頬を膨らませた。
「はいはい、どうせあたしは落ちこぼれですよ」
「まあまあ、一頃に比べたら大分、あなたも錬金術士らしくなってきましたからね。そろそろ『“元”劣等生』に格上げしてもいいと思いますよ」
「...なんだか、やっぱりけなされてる気がする」
マルローネは拗ねた声で呟いた。
クライスは苦笑を浮かべた。一応、ほめたつもりなのだが...。しかしこれ以上明確な表現をするつもりは、彼にはさらさらなかった。
「あ、そうだ」
マルローネは胸の中の疑問をクライスにぶつけてみた。
「クライス。あなた、シアのことが好きなの?」
クライスは一瞬眼を見開いた。しかし、すぐに平静を取り戻した。
「そうですね、どこかのがさつな問題児よりはよっぽど好もしいですね」
「ごまかさないで!」と詰め寄るマルローネ。
「...私は、あなたがたにはそれなりに感謝しているのですよ。あなたがたは、私を遠巻きにしたり特別扱いしたりせず、ただの人間として...友達として接してくれる数少ない人たちですから。それで少々恩返ししたくなったのです。それだけです」
言うなり、クライスは足を早めて先を行ってしまったので、マルローネにはその表情がわからなかった。しかし、とにかく本心を言ってしまって照れているらしい、ということだけは想像できた。
後に残されたマルローネは、首をひねった。
「う〜ん、嘘は言っていないみたいだけど...。でも、あいつがあんなに人のことで頑張るなんて、絶対何かあると思ったんだけどなあ?」
しかし、突如襲ってきた眠気が、マルローネの心の中の疑問を追い払ってしまった。
「ま、いっか。...あぁ、眠い。帰って寝よ」
ザールブルグの空に、夏の太陽が光の矢を勢いよく放っていた。
-Fin-
*あとがき*
やっぱり、「マリー」と言えばこのイベントですね。ついでに、クライスに「世界に笑顔を」を飲ませた結果の、ひとつの回答にもなってます。
クライスと言えば、彼は少々勘違いをしています。校長はエリキシル剤くらいは楽勝で作れます。...すみません、筆者自身の勘違いです。
それと、私の中では、この時点でのクライスのマルローネに対する感情は「大切な友達」どまりだとしてあります。ていうか、まだ自分で気がついていないのかな。彼女が旅に出てから初めて、好きだったんだと気がついて慌ててそうだ(笑)。