ザールブルグの職人通りを行くマルローネの足どりは軽かった。
彼女が王立魔術アカデミーの学生としてザールブルグ界隈(かいわい)に知られるようになって以来、常に劣等生・問題児と言われ続けたものであったが、卒業試験として始めた自活の日々は順調に流れ、そのあいだに作る魔法の薬の数々によって、錬金術士のタマゴとして街の人々の信頼を徐々に勝ち得つつあったのだ。
...もっとも、「おしとやか」という言葉とは縁遠い彼女の性格上、「問題児」という評判のほうは撤回できそうになかったが。
赤い三角屋根の小さな工房。これがマルローネの「小さな城」であった。
扉を開けたマルローネの――扉の鍵は開いていた。たぶん、合い鍵を持ってる親友のシアだろうと思った――眼に飛び込んできたものは、散らかりまくった部屋になんとか納まって、優雅に茶を飲んでいるクライス・キュールの姿だった!
「なっ、なんであんたがここにいるのよっ!?」
クライスはいかにもうるさそうにマルローネを見返した。
「シアさんが入れてくれたのですよ。外で待っているのもなんだからと言ってくれたのです」
アカデミーの後輩クライス・キュールは、出会った頃に比べればマシにはなってきたものの、今なお生意気で皮肉な性格の持ち主であり、マルローネにとって――そして他の多くのアカデミーの学生にとって――招かれざる客であった。
特にマルローネは、最初にクライスが工房を訪ねてきたときの、「年下のガキ」にさんざんバカにされた屈辱を未だ忘れることができないでいた。
そこにシアが奧の部屋から出てきた。
「ごめんね、マリー。勝手なことをして。でもわたしがここへ来たとき、クライスさんが表であなたを待っていたものだから」
クライスはあわてて遮った。
「別にあなたを待っていたわけではありません。息抜きに散歩していて、近くまで来たものですから。本当はすぐ帰るつもりだったのですよ...」
「でもクライスさん、マリーに頼みたいことがあるって...」
シアは首をかしげた。仕方なく、クライスはそれを認めた。
「ああ、まあ一応用事がありましたね。ガッシュの木炭が急に足りなくなりましたので、あればゆずっていただきたいのです。なければ結構ですよ。元から期待してはいませんから」
「...あんた、イヤミ付きでないとものが言えないわけぇ?」
マリーは怒って頬をぱんぱんに膨らませたが、仇に恩を返すように、自分が作っておいたガッシュの木炭を出してやった。
「助かります。謝礼はこのくらいでよろしいですか」
マルローネはまだ怒った口調のままで答えた。
「そうね。腹が立ってるから本当はもっともらいたいところだけど、まけてあげるわ」
「...。ではそろそろ帰ります。シアさん、あなたの入れたお茶は最高ですね。どんなゴミための中でも美味しくいただけます」
クライスの賛辞にシアは微笑みを返し...マルローネの顔を見てそれを慌てて引っ込めた。
「ゴミためで悪かったわね! とっとと帰りなさいよ!!」
マルローネの怒鳴り声が飛んだ。
「私は『あなたの部屋が』とは一言も言ってませんよ。気がとがめるなら少しは掃除なさったらどうです?」
笑うクライスに、怒りで肩を震わせるマルローネ。
シアはマルローネをなだめようと口を開きかけた、しかし。
「!...」
突然その場にくずおれるシア。マルローネとクライスは同時に叫んだ。
「シアっ!?」
「シアさん!?」
***
「シアっ! しっかりして!!」
マリーは必死に呼びかけた。そうすれば全てが元通りになるかのように。しかし無情にも、シアの顔色は青いまま、回復しそうになかった。
「マルローネさん、私が医者を呼んできます! シアさんのかかりつけの医者を知ってますか?」
クライスが早口に尋ねた。さすがにいつもの皮肉さは消え失せ、真剣な顔つきになっていた。
「城門広場前のヴェーバー先生よ!」
「わかりました。なるべく急ぎますので、あなたはシアさんに付いててあげてください。間違っても、自分でなんとかしようと考えてはいけませんよ」
よけいな一言が復活したクライスだったが、さすがに今のマルローネには突っかかる余裕はなかった。だから大人しく「わかってるわよ」と答えたのだった。
クライスは医者を呼びに走っていった。マルローネはシアを抱え、近くの長椅子まで運んだ。
シアの身体が弱いことはよく知っていたが、実際にこのように倒れてしまうのを見るのは初めてだった。それは、以前はシアの具合が少しでも思わしくないと、両親が彼女を家から出さなかったせいだと思い当たった。
しかし今は、ときどきシアはマルローネの調合用の材料集めに同行していた。彼女の両親も、少しくらいの遠出はシアの健康のためにいいと思っていたのか、特に反対はしていなかったのだが...。最近大きな発作がなかったので、油断があったのだ。
苦しげな顔をして横たわる友の傍らで、マルローネはつぶやいた。
「シア...大丈夫だよね...?」
クライスが、医者を連れて戻ってきた。心配そうに見守る二人の前で、医者は手早く処置をした。
「今は少し落ちついているが、当分安静にしていないといけないよ。家で寝かせてやらなくてはならない」
「先生、大したことはないんでしょう?」
マルローネは訊ねた。眼が潤んでいた。
「...残念ながら、経過を見ないと何とも言えないよ。とにかく、彼女を家へ送ってあげなければなるまい。君たちも付いてきてくれるかね?」
もちろん、二人はそれを断らなかった。
***
医者の乗ってきた馬車にシアを乗せて、マルローネとクライスはシアの家、ドナースタークの屋敷へやってきた。
シアの家では大騒ぎになり、まだ午後にもかかわらず父親の元へ使いがやられた。シアは部屋で寝かされ、医者と母親がそばについていた。
マルローネたちは客間で待たされていたが、ほとんどお互いに口をきかず、痛いほどの沈黙が続いた。
やがて客間にシアの母親が現れ、シアが呼んでいるから行ってやってほしいと告げた。
シアは部屋に入ってきた二人を見て、弱々しく微笑んだ。
「マリー、ごめんね、急に倒れたりして...クライスさんまで巻き込んでしまったわね」
「気にしないでください、シアさん。身体に障りますよ」
「そうよ。今はゆっくり休んで、治ることだけを考えて」
シアの表情が曇った。部屋を見回し、3人だけであることを確認してから、そっと告げたことは、マルローネにとって、とても恐ろしい可能性だった。
「マリー...わたし、知ってるの。わたしの病気が決して治らないってこと。お父様とお医者様が陰で話しているのを何度か聞いたことがあるの...今はこうして話していられるけど、今度またなにかあったらどうなるかわからないわ...」
「シア! そんなことって...!」
絶句するマルローネ。沈黙が続いた。身を刺すような沈黙。
その沈黙を最初に破ったのはクライスだった。
「エリキシル剤なら、あるいは...」
マルローネは急いで振り返った。
「何!? そのエリキシル剤って?」
クライスは説明した。
「聞いたことがあるのですよ。エリキシル剤という、どんな怪我や病気でも回復させてしまう素晴らしい薬が存在するって。しかし、エリキシル剤の調合に成功した例は、魔術の歴史をひもといても数えるほどしかないそうです」
「その薬の話なら私も聞いたことがあるわ」とシア。
「アカデミーにもあるらしいけれど、あんまり貴重なので値段が高くてとても買えないって、お父さまが言っていたわ」
クライスは渋い顔をした。
「ドナースターク家の財力を持ってしても家が傾くほどの値段が付けられているのですか...」
一同は再び黙り込んだ。